2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「少女は・・・」

と、大人になった女は言いかけた。「少女にはお洋服が必要で、そして少年には刃物が必要なの」と女はそう言いたかった、だが言えなかった。 そこで、友人は「ごめんトイレ」、と小さく言う。 女は友人がトイレから帰ってくるまでモノローグを止めようとはし…

少年の場

■今は枚方市にいるのだろう劇作家?の可能くんから電話。また東京に戻ってくるらしい。彼とはとある映画の企画をずいぶん前から立てていて、彼が主演の60分くらいの科学的メタ・ドキュメンタリーをG・Wあたりに作ろうという話をする。可能は「オレは青山真治…

笑うに笑えず

メールやら電話やらで、めまぐるしい一日だった。「おまえはどうのこの」と言われ「おれはどうのこの」と、半ばけんか腰の会話。笑えもするが、笑っている場合ではない。そんな夜遅くの2時間くらい長電話。急に雨が降ってすぐに止んだ。あとちっちゃな地震も…

メモ

■電車のなかで本を読むことを体が覚えはじめている。何日かけてこの本を読むということも試みたが、うまくいったためしがない。ぶんこ本を適当に選んで、適当にぱっと開いたところから読む。話の脈絡は一向にわからないが、読みすすめるとひっかかる箇所がで…

「見え」と「見る」

成城から喜多見に抜ける道沿いの空き地で、植木や草花を中心にシューティング。晴れやかな空の下で露出を調整するのに無心していたら、目が変になってくる。ファインダーの映像と現物を交互に確認していたため。もちろんファインダーの映像は外光を遮ってフ…

高橋悠治

「言うことと理解することは違う。言っていることを理解しながら言っているというわけではない。言っていることを100%理解しているわけではない。」という話が面白かった。 「事物にイデオロギーを読み取ってしまうことが、遡行的なプロセスを生みはする…

開栓前にセーフティリングを確認してください

最近はモダニズムどころではない。モダニズムについては頭をよぎるだけで、全く考えていない。ただ現実原則にひきづられている。何がそうさせたのかというと、やはりバイトの仕事ありすぎ状態に原因があるだろう。ありすぎはヤバイ事態なのはわかっているに…

セザンヌ

の画集を見る。全然お金がないときに買った洋書で見る。(まあいつもお金はない)。ぼくは京都市北区の大宮小学校っていうとこに行ってたんだけど、薄暗い校舎の踊り場に『リンゴとオレンジ』(1895〜1900)の複製がかけてあったのを覚えている。これを見た…

ビッグ・ファット・ママ

■昨日会った男はつい2週間前に新宿で突然泣いたとぼくに告げた。そして自分でもおかしいと思い当たって精神科に見てもらったという。街中で突然泣く、という経験はぼくにはないので涙腺がゆるんだ瞬間までの連続性と外気のある世界にいかなる関係性(目に何…

タックス・マン

■という歌詞からはじまるキンクスの『サニー・アフタヌーン』を聞く。いつ聞いても名曲。例年のように、無意識に夏の到来を先取りしたがっている。まっすぐ歩こうとしても、もつれる足。やたらな喉の乾き。ぬるい水。悪魔的な光と影のコントラスト。 ■西おぎ…

自分でもわかってる

ことやけど、ここ3年くらいぼくは人にカメラを向けるのにすごい抵抗がある(というか恐(畏)れつつ撮影に挑んでいる)。その理由の一つにぼくの映画制作史のなかで死者が3人出ていることが大きい。でも、その人たち映画に出てくれた人たちの像はちゃんと…

すごく当たり前

■すぎて問題にもならないのだけど、一人で歩いている人と二人で歩いている人と三人で歩いている人をぱっと見て見分けられることができるのはなぜか、と考えていた。一人で歩いている人が一人で歩いている人として見えるのが、すごく奇妙に目にうつった。 ■帰…

文字に対する懐疑

■文字による伝達は一見効率がよさそうに見えるかもしれんけど、かなりトロい伝達手段のような気がする。そんで文字は声と違って残るし、鬱陶しいというのもある。ぼくはメールも人並みにするし、気が向いたときに手紙も書くんやけど、最近できるだけ電話を使…

ふと

■頭をよぎった矢野顕子の『BROOCH』(1986)をHMVで買いなおして久しぶりに聴く。矢野顕子では『ただいま』(1981)の次に好きなアルバムか。1曲目から4曲目は高橋悠治の作曲であとはクラッシックのカヴァー。最後のDebussy作曲の『Le Temps a Laissie …

一人で

■カラオケに行く。予想以上にうたった。ぼくにとって声を出すというのはあんがい重要なことで、一定のアベレージで声を出してやらないと内臓がやられてしまうことを体が覚えている。最近はケーキ用のリキュールをまぜた紅茶ののみすぎなのか、胃がキリキリ痛…

『死んでもいい』

は、むかし京都の朝日シネマ(現京都シネマ)で映写していた映画で、最初から最後までちあきなおみが流れる予告編がすごい好きだった。当時、本編はいまいちだったが、今日見直してみるとすごくいい。感受性が変わったのだろう。石井隆映画の中では郡を抜い…

浮気っぽい天候が

■曇り空、やや肌寒い。浮気っぽい天候が心にくい。午前中はタマ川まで行って、瞑想でもしようかと思ったが買い物の他は部屋にいた。 ■煙草を買いにゆく途中にある近所の家のカラスよけのCDを見ると、思わずある話が思い浮かぶ。去年途中まで書いていた「一…

三角頭巾とピース・サイン

■中央図書館でいけばな関係の調べ物。戦後のいけばなが東横百貨店なしには語れない事が分かった。 ■日活の撮影所や映画学校もある、調布市はわりと映画の街であることを主張していて、図書館の映画本コーナーも別のスペースに特化されている。けっこうな充実…

ミート・ビート・スパゲッティ

短・中編は量産体勢をつねに整えるべく創作意識をセルフ・コントロールしている。カメラマン不在でも撮れるものから順次撮っている。長編もすすめている。暇を見つけて制作会社や出資してくれそうな会社に電話を一日3、4件はしているのだが、のれんに腕押…

マーチ

mixi内にぼくのファン・サイトらしきものを知らぬ間に勝手に作った知人でもあり、友人でもある女性が武蔵野の精神病院に入院しているのでお見舞いに行こうとしたら、別の知人から急に「会ってくれー。」という電話。やむなく恵比寿まで。やや「めんどく…

午前中は

頭回して体回さず。午後は頭回さず体回す。晩は頭回さず体回さず。

『ポリティカル・トリロジー』

屋外、生気ある場所。あちらこちらにうごめく顔の煌きや動物の声。突如訪れるリズムに反応する身体。・・・脚の、ひざこぞうの、腕の、胴体の、腰の線のめまぐるしい動きと変化。楽器を奏でる手、ピックを持つ指のはら、よくみがかれた爪の輝き、血管の浮き…

鈴木了二と宇野邦一の対談

昨日のイヴェントで建築家の鈴木了二と思想家(?)の宇野邦一の対談があった。鈴木氏は「性格が飽きっぽいこともあるが、建築だけやっていると自家中毒になるし、建築を別のメディウムに変換するのも面白い」ということもあって『物質試行』という自作建築…

海は

見ていない。波の音も聴いていない。なにをしていたか?昨日に引き続き横浜美術館レクチャー・ホールで映画を4本。ジョナス・メカスの『グリーン・ポイントからの手紙』(2004)を見た。くらくらした。ビデオテープの劣化したノイズが映画の滑らかさをすで…

海を

海を見た。まとまった量の水を真近で見ることは何か特別な感情が与えられるような気がしてならない。こちらが落ち着きたいと願っているわけでもないのに、落ち着かせてくれるというか、そんな感じから唯一性の感情を確認できる。周囲はコスプレ・パーティー…

スプリング・セール

ぼくは今、文章を売っている。官能小説のプロットの生産である。2000字くらいのものに纏めたものをある組織のある人物に提出するのだが、そこからどう流れるかはぼくには未知の領域であり、知らされることはない。単価は決められている。おそらくエロゲ…

時間

およそ西洋的な文脈で時間というものを考える場合、よくヘブライズム(キリスト教的)の直線的時間とヘレニズム(ギリシア文化/哲学的)の円環的時間という対比において語られることが多々ある。またエリアーデが、(少し文脈は違うが)「歴史の完成」とい…

盛り上がらない対象でいかにして盛り上がるか パート2

盛り上がらない対象をいかにして盛り上げるのかではなく、盛り上がらない対象でいかに盛り上がるかという発想はバカにすべきではない。音楽にしても、コードを10個くらい使って複雑な進行で曲をつくると、それなりに豊饒で壮麗な曲ができやすいのだが、ワ…

制作メモ

ずいぶん前からの習慣だが、パスタとゆでタマゴを食べたいときは、作る手順上、お湯を一緒にしている。沸騰したお湯の中に、まずはタマゴを入れ、その次にパスタを入れる。この場合、素手でつかんだタマゴをポトンと落とすと、大方鍋の底にコツンとあたって…