■電車のなかで本を読むことを体が覚えはじめている。何日かけてこの本を読むということも試みたが、うまくいったためしがない。ぶんこ本を適当に選んで、適当にぱっと開いたところから読む。話の脈絡は一向にわからないが、読みすすめるとひっかかる箇所がでてくる。ひっかかった箇所を繰り返し読む。文字の配列に視線をトレースすると別の時間が訪れてくれるのがうれしいのだ。電車が走っていることを知らせる電車の音が浮き出たり、沈んだりする。
■おとといはアップリンクで足立智美という方と、高橋悠治さんと宮岡秀行くんのトークがあった。もちろんR・フェラーリの上映もあった。高橋悠治を最初に知ったのはいじゅういんさんという人から薦められて読んだ『ことばをもって音をたち切れ』。23かそのあたりだったか。その後、図書館で探してやっとみつけた『たたかう音楽』。古本屋で見つけた『音楽のおしえ』。『水牛通信』。1995年あたりか、この時期につくった『すてきな他人』という作品にたぶん影響の影あり。高橋悠治の文体(思想ではなく文体)を映像に変換したらどうなるのかと思いながら作った。この時期に好んで読んでいたパウル・ツェランの詩と富岡多恵子の詩と同等なニュアンスを嗅ぎ取っていたのだと思う。、その文体ににじみ出る世界の微細な捉え方、感覚のねじれ。創作に対する捉え方。抵抗の姿勢のとり方。高橋悠治。聴いたのは矢野顕子の『BROOCH』に入っている冒頭の4曲が入口。あとはサティ、ケージ、クセナキス、畠中恵子や三宅榛名との共同作品。使えるものは使うといういい意味での合理主義に基づいたことばの使用。使えるものは使う。「トイレどこですか?」とパチンコ店の店員に聞くこと。ことばをもってトイレにたどり着くこと。主体を消すために、自己を道具に変えること。腕があることや指があることにたどり着くこと。体が動かせることにたどりつくこと。無理な姿勢をとらないこと。音楽論としても読んだが、それ以上に身体論としても読んだのだと思う。