2005-01-01から1年間の記事一覧

「IMAGE」と呼ばれる対象についての唯一の回答へのヒント その2

(主に記憶の序列化について) 2 こちらにやってきてはあっという間に逃げ去るスズメをじっくりと知覚するのには難渋を極める。反−象徴的な事物としてのスズメ。「スズメ=アレゴリー、孔雀=シンボル」。また、スズメの存在論的位相には、視覚像世界におけ…

三人で

16時かそのあたり、久々に乗る電車内で異様な息苦しさを感じる。座ればなおさらだ。前に立っている人々の隙間から遠くの景色を見つけては、視線が一番遠いところをめがけるように努力する。そうすると息苦しさは、少し緩和される。電車は渋谷に着いた。裏…

「IMAGE」と呼ばれる対象についての唯一の回答へのヒント その1

<われ‐われ>が通常の<わわ‐われ>でいる時、<われ‐われ>はすでに抑制の利かない序列化された記憶に基づかされている。<われ‐われ>の物語が<われ‐われ>の記憶に基づいているのではない。事態はその逆であって、記憶に関する物語を外的な物語によって…

BALL & CHAIN 5

■回想についてのメモ 1■例えば「躑躅」と書いてもその読み方を知らない人は「躑躅」に対してのなんらかの像を結ぶことができにくくなる。せいぜいその漢字を「難しい」と嘆いてみせたり、「気持ち悪い」とか「ごちゃごちゃしている」という感性的な判断に順…

BALL&CHAIN 4

■ のびもち/あかふく 1949年、昭和24年に描かれた『伸餅』という絵画がある。のびもち、とでも読めばいいのか、データによると、その絵は油彩であり、37,9×45,5cmの画布に描かれた。愛知美術館の木村定三コレクションに指定されているそうだ。…

BALL&CHAIN 3

■ 会計明朗文字をタイプしている時に、何かが頭をよぎった。最初はつかみどころのない街の一角の映像だったが、しばらくしてその一角の地理を特定できる映像が再び頭によぎることとなった。再来した映像をできるだけ保持しようと努めていたものの、気を張っ…

BALL&CHAIN 2

2005年12月6日 ■マクドナルドマクドナルド、関西ではマクドと呼ばれ、こちら、あるいはその他ではマックと呼ばれる。 ある種の目利きなら、マックの売り娘、そのスマイリーなJ−GIRLの立ち位置がいくぶん高いこと、われわれ消費者より若干の「高…

BALL&CHAIN

2005年12月1日 いたたまれない日だった。「寝違い」をしてしまい、首が痛かったのだ。それがいけなかった。「書けない」ことを前提してしまい、実際書かなかった。どうしようもなく気が滅入ってきて午後三時頃千恵さんを晩飯に誘うも、仕事の企画書づ…

インターネット・カフェ・イン・コクトー・トゥインズ

インターネットカフェでキーを叩いている。カップ・コーヒーの脱脂粉乳のいいようのない舌先にひきづるあの不快感、不浄感。三条、といっても京都の三条ではなく新潟の三条である。ちょっとした遠出だ。観光でも仕事でもなく、坂口安吾の故郷へ行くこともな…

水の女

超越性の希求を映像表現に求める時、演出は「人に上を向いてもらう」こと、その作為を選ぶことがある。古い映画だが中上健次脚本、柳町光男監督の『火まつり』は北大路欣也の鍛えられた腕を大木に巻きつかせ、天空を仰がせることによって、のちの惨殺へのゆ…

京都にて 2

こと日本料理屋の厨房に限ってかどうかは知らぬが、女がその場所に立つのを禁じる慣習は絶えることがない、それはなぜか、と、かつて調布の友人に問うたところ次のような答えが返ってきた。「女には月経があり、通常保っている味覚が月経によってそのバラン…

京都にて 1

ありふれた、だが名前さえ知らぬ凡俗な観葉植物に隠れた小窓から差し込む光の束が、ぼくのコーヒーカップから上昇する熱粒子と灰皿に停止する1本のタバコの先からまっすぐに上昇する煙の複雑きわまりない流線形をくっきりと浮きたたせている。 ぼくはひざを…

NOTRE MUSIQUE

ミラノ、パリ帰りのS君からゴダールの新作のDVDと、より原液に近いアブサンリキュールを受け取る。ちなみにDVDは39、5ユーロ。ざっとはや送りして見た。ゴダールは捻くれたアマチュアリズム(もちろん肯定的な意味で)に回帰している。フレームに映ってい…

阿木譲

阿木譲を思い出した。 確かWHOOPEESという八坂にあるライヴハウスでちょくちょく遊んでいた時のことだから、10年以上前に遡る。ライブハウスやクラブという場では、時に見知らぬ者に声をかけたり、かけられたりしていた。まともなコミュニケーションなど何…