BALL&CHAIN 4

■ のびもち/あかふく  

1949年、昭和24年に描かれた『伸餅』という絵画がある。のびもち、とでも読めばいいのか、データによると、その絵は油彩であり、37,9×45,5cmの画布に描かれた。愛知美術館の木村定三コレクションに指定されているそうだ。作者は熊谷守一、『伸餅』は1880年の生まれの氏が69歳のときに描いたということになる。熊谷守一のことは岡崎乾二郎松浦寿夫の対談集『絵画の準備を!』で、はじめて知った。ザラバンシっぽい紙に切手大の大きさに印刷された「ヤキバノカエリ」という絵(印刷物)を見たのが最初だろう。(しかし東京の地図を眺めていて目に止まった豊島区にある氏の記念館も何度も行こうと思い立っては、しかし結局足が向かない。)『伸餅』は『蒼蝿』という書物の中で見た。氏の語り下ろしだ。間にカラーページで年代順に追った絵画がはさまれてある。その絵はまるで、単純だ。餅が三つ描いてある、バランスよく。そのうちの一つには爪楊枝が刺してある。左手前の餅に。指の腹で爪楊枝を持ちやすくしてあるタイプのもので、なんといえばいいのか、少し平べったいスペースがある。この爪楊枝がなければ、この絵はつまらないものになっていただろう、そんなふうに思う。その色は濃い茶色だ。だが木の質感はとうてい感じられない。それは色であり、形である。餅は皿には盛られていない。どこにあるのか分からない。浮いているようにも見えるし、黄土色の敷布の上に忽然とあるという印象も与える。マティスの絵にも似た筆致感があるのだろうか。具象にはとどまるが、具体から、その物量感からモノが遊離しているように描く。餅のカタチは練りに練られたものだという印象を与える。(餅もまたよく練られたという印象を与える)スクエアカットではないその餅の線は、たしかに「伸びている」という印象を与える。「くたびれている」という印象も与える。三つの餅の輪郭線は微妙きわまるものだ。「最初にそう見えた」つまり、初期印象を大切にするあまり、時間経過を遡って、やっとのことで探りあてたような深度を感じる。「最初はこう見えたはずなのに、あれ、今描いているやつはなんだか違うぞ、」といったふうな。その連続が止むことなく続き、ついには餅からは遊離したモノのカタチとなる(これは写真でも映像でも起こりうる)。その遊離のプロセスにおいては、それは「伸餅」ではない。「伸餅」はカタチや色や筆触やらの総体から逆行して見出された名にしか過ぎない。同じ『蒼蝿』の中で熊谷守一は次のように語っている。


菓子は食わないけれども、赤福ね。伊勢の、餅にあんこをつけたあれは食うんですわ。岐阜の中学校で伊勢参りに行ったとき、お伊勢さんの前で売っていた赤福を随分食いました。それからあとも、餅菓子は食わないけれど、赤福だけは食うんですわ。味なんてものは怪し気なものですね。この間、綺麗にできた容れ物に入ったものをもらったんだが、食う気がしないんですわ。ものは違ってないんだけども、あんまり綺麗になってて赤福みたいな気がしないんですわ。食うものはまずいとか何とか喧しいこというくせして、そんなに恰好だけで食えたり食えなかったりじゃ変ですわね。赤福は、あれがうまいってんでなしに、中学で行ったときのことが、思い出しておかしくて食ってたらしいんです。だから味のことは意味が違いますわね。(『蒼蝿』熊谷守一46頁)


この発言は、長年ぼくが考えつづけている「味の問題」に関してある種の示唆を与えてくれる。味にはそれ固有の輪郭があるのかどうかという問題である。そして、すべての味はそれが味わわれる前に、すでに見られているという問題である(盲人は別とするが)。ぼくはよくジュリ(嫁はん)と言い合ったものだった。ジュリは言う。「こんな皿にいれてはせっかく私が作ったごはんが不味そうに見えるじゃないの」ぼくは言う。「別にどれに入れたって一緒やないか?同じもの食べるわけやし。」熊谷守一は、きれいな箱に入った赤福に拒否反応を示している。それはもはや氏にとって赤福ではない。しかし、きっとその味は同じであろう。なぜなら、「おいしそうそうに見える、見えない」という与件的な判断と「食べておいしかった、まずかった」という結果は必ずしも連続していないからだ。だから「おいしそうに見えて、そして味が美味かった」いう連続性に対して、「おいしそうに見えたが、不味かった」という非連続性が確認されるだけであり、この連続/非連続の運動を支えているのが「味そのものは同じである」という同一的な前提だからである。(イメージするという作業は受動的にも能動的にもこの連続性を同一的な平面で自らにおびきよせることである)だが、氏は「格好だけで食えたり食えなかったりじゃ変ですわね。」と言っている。それでは、この「変」は一体どこからやってくるのか?氏が赤福を食べる、食べようとする行為は、記憶の連続性に基づくものであった。連続性の起点には中学の伊勢参りの時に赤福を食べた経験に「おかしい何か」を感じていたという同時性、出来事性、その「おかしさ」自体の背景(条件)があった。まずもってこの時点ですでに赤福は「おかしさ」によって固有の味と切断されていたというべきなのだろう。なぜなら赤福を食べるという行為には「おかしさ」に切断された「赤福の味」を再縫合化(モンタージュ)しなおすという関わり方があったはずだから。だから氏は「お菓子は食べないけれども赤福は食った」。言い換えると、氏の赤福を食べるという行為はバナキュラーに言われる「食」体験ではなかったのだろうし、「味」と「経験」を無関係性において貫く(分裂の契機を維持する)ような身体がすでに用意されていたということだ。それは「食」体験との距離、「食」との無関係性を強調する「赤福体験」としか言えないものだったのではないか?あるいは赤福が固有の味の輪郭を保ちつつも「おかしさ」が味に混淆していたというべきなのだろうか。しかし、どう考えても味それ自体には「おかしさ」は浸みこまない。それを強調することは事後的な解釈による、例えば「ドミソの和音は明るい」とか「ジャズは暗い」といった、解釈済みの制度的なオピニオン(文学)に堕してしまうだろう(被感情翻訳的対象の効果)。「味」それ自体はそこまでコード化されえないもっと複雑なものだ、きっと。しかし、いずれにしても氏の前に、きれいな箱にはいった赤福が用意された、そしてそれを食べるまえに、「それを見てしまった」という時点で、赤福は固有の味を離れてコンテクスト(経験の幽霊)を同時に現前(プレゼント)させてしまった。これは間違いないだろう。メリークリスマス。





■ ママレモン 

なにかと回想ごとが多い。多分いろんなことに退屈しているのだろう。もっと忙しくすべきか。忙しいふりでもすべきなのか。しかし、そんなこと言われてもな。映画、本、ギャラリーや美術館、ライヴハウスなど、東京には飽きるほど、見るもの、触れるべきものがあるというのは分かっている。しかし、たいへんだよ。ぼくはそういう情報を追っかけるほうではないし、情報が届いてもぼくを動かしてくれるものはほとんどない。回想しているほうがよほど楽しい。記憶の空隙を探す作業だ。絡まった過去を解きほぐす作業。メランコリーなんていう安穏したものじゃない。けっこう必死でやっている。しかしそれにも飽きたら、どこかに行くのだろうか。適当にネットでもして、あそこであれがやっているとか、そんな風に。いっしょにいかないか、とかそんな感じに。

寒さで出不精な日々がながびき、しまいに気が滅って、下北沢まで食材を買いに出かけた。今日はやや暖気があるのは分かっていた。紅茶の葉やコーヒー豆、カレーペースト、コチュジャンやパスタなど買い込んだ。これは主婦の心理かもしれないが、ぼくは食材が家に貯まっていると安心するほうだ。ようするに食材がないと不安になる。食器洗い洗剤や洗濯洗剤、シャンプーや、リンスも。だから日持ちのするもので安ければ買っておく。高い建物がなく、適度に人がいる下北沢はだいたいそういう場所に使っている。歩きやすいのだ。規模も小さいし、街のいやな匂いもしない。なぜか電気屋と食材屋が合体している店が数箇所あり、そこが以外に安い。荷物が重たくなったのでコインロッカーに預けて、ぶらぶらする。小田急の踏み切りの近くにブライアン・ウィルソンのSMILEのロゴをそのままパクッた店があり、酒を呑んで倦怠感をごまかす。ディスクユニオンでCDを見ていたらあれもこれも欲しくなり、買う。ヤズー、ディペッシュ・モード、ペイル・ファウンテンズ、マリン・ガールズとか。レーベルで言えば、エル、ラジオフランス、チェリーレッド、ラフ・トレード、4ADなどを好んで聞いていただろうか。まあパンクの裏側で聞いていたのだ、多分。ぼくにとってはパンクとネオアコは同じものだったんだよ。高校の時、放課後のクラブには入っていたけどほとんど出ていなかったぼくは、家に帰ってから、たしか4時から放送していたNHK-FMの「軽音楽をあなたに」という番組をよく聞いていた。火曜日にゼルダ小嶋さちほがディスクジョッキーを担当していて、ニューウェーヴものをよくかけていたのを覚えている。火曜日は晩の9時か10時に、坂本龍一サウンドストリートもあった。曜日は忘れたが、不思議の国の龍一という番組もあった。下北沢に来るといつも、高校の時の淡い感じというか、切ない感じというか、ビタースウィートな感じがたまらなく回想される。若者が多いからだ。若者たちがボーイミーツガールの雰囲を謳歌しようとして、まだ熟しきれていないレモンの色のような顔で、別の果実をもとめてもとめている。それはきっとすてきなことなんだ。宮廷風恋愛でもなく、代官山風恋愛でもなく、下北沢風恋愛があるはずなんだ。そういえば細川周平の『ウォークマンの修辞学』という本が古本屋に出ていた。ぺらぺらとめくった。昔のウォークマンのカラー広告なども綴じ込まれていて、ああ、面白そうだなと思ったが、買うのを止めた。また、ろくでもないことを考えはじめそうな気がしたからだ。





■ 靴下止め 

もし怠惰に美徳の価値があるとするならば、それは生活、ないし生活者においての容赦なき皮肉において他にはないであろう。なぜなら水と油のように生活そのものは怠惰を嫌うからだ。怠惰者、彼は生活者からその上澄を盗むことに至上の価値を見出す。それは抽象的な盗みであり、彼の生存本能の昇華活動、その上位概念に位置している。自他身分のグレイゾーンで濁った盗みを働きかけ、なんの疑いもなく彼は怠惰が成功したと錯覚する。それが決して見破られない盗みだと信じて疑わないからだ。しかし、盗み、それもまた懸命なる一種の労働なのではないかと彼が疑念を抱くとき、この世の千里眼という千里眼が瞬時に彼のぐるりに張り巡らされ、それがあたかも監視カメラのように稼動しはじめるのではないかとびくびくしはじめる。彼は自身に対しての邪推をいっそう促し、自身を苦しめるようにしむけるのだ。ここではたと苦し紛れに怠惰者は気づくのである。またしても生活者を皮肉ることに失敗したと。このようにして怠惰者は足元に用意された生活に脅え始め、とりかえしのつかない恒常的な冷却状態を再び全うしはじめるのだ。皮肉とは最初から他者に届こうが届くまいが関係なかった。そして、その時、彼は己の裡に観念を探すだろう。死の裏側に首尾よく配置された生の相対的な観念ではなく、生の裡に凍えている自身の壁を破砕してくれるような強力なダイヤモンドのような観念を。世界はどこまでも余っているのだ。メモリー不足なのは、常にこちら側、人間のほうである。





■ 世田谷における闘争

あるアメリカ映画のワンシーンの思い出。・・・アメリカのあちこちを仕事で飛び回っている男。今日もハードな一日を終えてモーテルの部屋に到着する。その男はベッドに身をあずけると、決まって必ず鞄から一枚のモノクロームの写真を取り出しては眺める。家族の写真だ。「繰り返しの日々、その積み重ね、」男はそんな事を思う。この写真を見て、そして、人生はそれしかないのだな、と、そう感じるしかない父の誇りを。・・・ラジオをつけっぱなしにしていたぼくの部屋に、ジョニ・ミッチェルの「THE CIRCLE GAME」という美しい曲を、よりメロウにアレンジした楽曲をバックに使った携帯電話のラジオ・コマーシャルが流れてきた。そのコマーシャルは(あまりにも)男性的な声を通しつづけてぼくに(と同時にリスナー全員に)こう告げた。携帯電話の写真も、家族から遠く離れた出張中の男に鞄からふいに取り出され、見られ、追憶され、ノスタルジーを喚起させてくれる家族写真なんだよ。アメリカ映画にでてきた、あの家族思いの男がそうしていたように。・・・確かにそうかもしれない。充分に了解できる。近代の物語の基礎でもあるファミリーロマンスが、その崩壊の予兆を帯びながらも、それゆえなお押し付けがましくならないように、ある種の繊細さをもってラジオから届けられる。・・・ラジオ・コマーシャルは面白い、なぜなら映像を喚起させようと、さまざまな音響的配慮がこれみよがしにほどこされているからである。発話のリズム、センテンスを細分化し、息継ぎする際にちょっとしたサイレントの部分が随所に織り込まれ、巧妙に映像が喚起できるようになっている。数分後にあらわれた比較的長いビールのコマーシャルもおおいに物語的配慮、音響的配慮がなされていた。どこかの広い公園だろうか、娘と歩いている時でも、コートのポケットにビールの缶を忍ばせている父親の小話だ。昔はそのポケットにはカラフルな飴やビーズなど小さな女の子が喜ぶようなものがたくさん入っていたのに・・・そう娘は思う。ファミリーロマンスと(/の)バリア・フリー・・・個の内面になんの障壁もなくすっと入ってゆけるような、ここちよい、かつこころにくい音が精巧繊細に作られている。ラジオの物語的平面は、光る物質、つまり映画やテレビ、コンピューターゲームに慣れきった眼が、その音を直接的に見ようとしてしまうその「焦燥」にあやかっている・・・クリッシェ、最後にビールのあわ立つ音が聞こえた。しかし、それは現実の音よりも、確実に鮮明に聞こえた。

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20世紀最後の日、つまり西暦2000年12月31日、いわゆる「世田谷一家殺人事件」が起こった。仙川(調布市のはずれ)まで歩けば、ちらほらとその犯人像(不審者像)を知らせるポスターが貼ってある。犯人は未だに捕まっていない。「世田谷一家殺人事件」、その犯行現場は京王線千歳烏山駅(世田谷区のはずれ)と小田急線の成城学園前(世田谷区の求心的なイメージを構成する)のちょうど中間にあたり、学園前の富の集積からはどこか孤立した光景を見せている。圧倒的な富、絶望的な貧からも遠ざけられた犯行現場の特異性は、もうひとつ上げられる。環状8号線を国道20号線(甲州街道)につなぐ交通量の圧倒的な渋滞のため、歩行者の通行さえ危うくさせるような狭い通路がすぐそばにあるという光景である。(この場合、渋滞中の車それ自体が遮蔽幕・・不可視性の根拠になっている)そして事件後には警察の威信をかけた徹底的な捜査が行われ、5900件もの情報が集められたという(近隣の駅に落ちている使用済みの定期券からも指紋の採取が行われた)。

INAX出版から出ている「10+1 39号」(2005年6月)に掲載されている貞包英之(さだかねひでゆき)氏の「東京の事件学−ソシオグラフィーとしての世田谷事件」は上のように犯行現場の環境をレポートしている。このレポートは現代都市を考え直す上でぼくに注意を促せた。まず事件直後からに「犯人あて」というゲームボードを手をかえ品をかえ用意する諸メディアが大衆を煽動し、つぎつぎに消費される当の事件(商品価値としての事件)には<聖家族(無垢なる家族)>という像−アリバイが駆動していたことを筆者は取りあげる。事後的に想像された「像」は、消費物として酷使に耐える「一家殺人−ファミリーロマンスの崩壊」のそれであり、コードとしてのファミリーロマンスが直接的に個々の内面に回付可能な前提であることをメディアは周到に理解している。(つまり事件と個をつなぐ消費システムの保証―アリバイとして機能する)。その次に犯人が犯行現場に残した過剰なモノの痕跡から捜査を続けているその方法に批判的な視線が投げられる。現場に残されたモノはその産地、購入場所、モードの恣意性(キムタクが連続ドラマで着ていたトレーナー、コギャルのファッションリーダーが好んでつけていた香水の残り香など)などから推理可能な素材として止揚される。筆者は言う、モノを主題的に担保にする捜索方法の近代性は無効になった。犯人がモノ(買う瞬間に跳躍的に商品に化けるそれ)を購入することができ、消費できるというフレームが先験的に用意されている「消費社会」で事件が発生したという認識こそが、メディア社会学者の推理や警察の分析過程に欠けていると指摘する。(犯人もまた消費社会を生きる者である・・・つまりメディアや学者が唱えがちな、旧来的、古典推理小説的な「犯人=異人説」に対して筆者は批判している。しかし筆者は必ずしも物的証拠から犯人像を推理する方法を全面的に否定しているわけではない、もっと多角的に捉えよと言っているだけである)続けてその批判的パラダイムは、モノ(痕跡)と商品(来歴)の基底である<消費社会>の不透明さ(消費都市東京の崩壊現象と裏腹な)にシフトされる。ここで<消費社会>の青写真でもある<管理社会>に筆者は目を向ける。アメリカ社会のセキュリティー過剰を皮肉ったマイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』などを参考に、監視の過剰(セコムのシールがネット上で売買されることも含めての)とその裏側にある暴力さえも、消費社会に準拠したゲームの近似空間であることを指摘する。事件の発生現場近くも、城塞化、自閉化した家、センサーライトと連動するセキュリティーシステムが瀰漫しており、それらの抑止システムの周縁に犯罪を招き寄せる可能性が高まり、しかし、それは犯罪の減少に貢献しているどころか、犯罪の配置を変え、事態をより複雑にしているだけだと指摘する。

事件はそう単純ではない。事件を見つめる遠近法は多重化されねばならないのだ。残された物証には多彩な国際性があった。つまり、日本では購入できない韓国製のテニスシューズ、ラスヴェガス産の砂が付着していたヒップバッグなど、犯人が残したモノ(痕跡)と商品(来歴)には国際性という徴つけがなされていることから東京ないし、世田谷は二重化される。(しかし物証推理はさらに分散され、漂白される可能性が高まる)さらに複雑化を要請するのが、消費社会を循環的に支えている<富/セキュリティー>の集積に張り巡らされた監視の目、その不透明な奥行きに張り巡っている遠近法なのである。
                  
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ラジオが垂れ流すファミリーロマンス(ようするにこれさえもリスナーの脳にリンク可能な監視手段なのではないか)と、ジョニ・ミッチェルの「THE CIRCLE GAME」(閉じられたゲーム)は、「世田谷一家殺人事件」をぼくに反照した。ミッチェルの美声が、まるで「サークルゲームの外部は自身の脳の中にしかない」と告げているかのようだ。