BALL & CHAIN 5

■回想についてのメモ


1■例えば「躑躅」と書いてもその読み方を知らない人は「躑躅」に対してのなんらかの像を結ぶことができにくくなる。せいぜいその漢字を「難しい」と嘆いてみせたり、「気持ち悪い」とか「ごちゃごちゃしている」という感性的な判断に順じて、感想を述べることだけが許されている。そして「躑躅」はせめて漢字であるという認識をもつことができるだけである。それでは「つつじ」と書いた場合、人は実際に咲いているその花「つつじ」を想起するのだろうか?それではなぜその想起は可能なのか?


2■「いまいち君の話は像を結ばないな」といわれるような、言語(発話)を像の「裏面」、ないし、下からささえもつ「基底」のような捉え方をする場合がある。発話が像を結んだときにあたかもその発話が「伝わった」という確信を相互間で享受できるような「像」を互いに確認しあえるケースである。それではいかにしてその「像」の同一性は保証されているのか?


3■記憶の対概念を忘却とする。そこで「記憶の地図」と「忘却の地図」が完全に一対一対応しているとしよう。一対一は経験的、自然的な真理ではないし、むしろ恣意的に見出されるべき予測的な配分である。そして一対一の比率の根拠は次のように説明できるかもしれない。「忘却そのものを忘却している」という意識を徹底するには圧倒的な負荷がかかる。一方で「記憶している、覚えている」という状態がある種の脅迫的(自然的)な循環作用として意志とは無関係に訪れる(すでに訪れて定着している)という意味では<負荷のかからない状態>にある。(ゆえに記憶は常に可能的なバロック的過剰とかかわる)それではなぜ<記憶/忘却>の一対一対応=写像は「見出されるべき対象」として止揚されねばならないのか?


4■学習した漢字が思い出せない。覚えたはずの料理の手順を忘れてしまう、など、回想の介入は経験の流れを切断し、突然やってくるものだ。形式主義者ならば、「5時から6時まで<まとめて>回想しよう」と、自律的な規範(枠組み)に基づきつつ回想するのかもしれないが、しかしおおむね身体はそこまで「都合よくできていない」。


5■(すでになされている)記憶に対しての(すでになされている/これからなされるであろう)忘却の強調、これが回想の倫理的戦術である。回想はまず記憶の地図を手に持つことから始められる。そこにはいくつかの指標、手がかり、匂い、などが染み付いている。何を忘却していたかを探り当てる作業は、いかにして忘却が可能になったかという問いを受け持つ作業に移行する。多くの記憶は化粧済みである(国家の記憶の化粧は個人の記憶の化粧に循環する)が、その場合多くの忘却対象が化粧材に使用されている。






■ 風呂上りマット

例えば、ある文章に「鋭」という漢字がまぎれているとする。「・・・そこで、鋭い意見を彼は公衆の面前で言い放った、そして議論は・・・」というふうに。そして「鈍」という漢字がある文章にまぎれているとする。「・・・そして、タイヤの空気圧を知らせるように、コンクリートから鈍い音がなった・・・」というふうに。ぼくはこの「鈍」を「鋭」と取り違えて読んでしまう癖がある。「鋭い」も「鈍い」も、ともに「するどい」と読んでしまう癖があるのだ。ぼくにとっては「鈍」という漢字はどこか鋭く見えるのだ。たぶんそれは「屯」という表象が、なにか「突き刺さりまくっている」という「視覚像」(形象)を与えているからなのだろう。しかしその解釈(思い込み)は「突き刺さっている=鋭い」という等式を無条件に前提している。そこで突き刺さっているものの視覚像をあれこれと探してみる。まずかんたんなところで焼き鳥だろうか。たしかに焼き鳥の物理的イメージの正当性は肉を串で貫通させて初めて焼き鳥になるという一般的イメージに裏打ちされている。肉のかたちが「ノ」とか「☆」とか「Ю」と言っているわけではない。そこで、仮に焼き鳥が焼き鳥たらんとするそのかたちを「Ф」にパターン化するとしよう。ここには二つの交点がある。この交点が貫通の入口と出口を表象している限り、「Φ」である「焼き鳥」は「屯」という文字のもつ鋭さと、ある近似値を構成してしまう。(「屯」という漢字も二つの交点を持つ)しかし、よくよく見てみると、円を垂直に切ったような形象「Φ」は、焼き鳥の一般的なイメージを裏打ちしている「串」という漢字表象が非常に似ていることに気づく。「Φ」と「串」。・・・話しをもとに戻そう。ぼくは「鈍い」を「するどい」と読み違えてしまい、「屯」を「するどく」感じていたわけだ。そして「屯」のもつ鋭さを「Φ」と「串」から転写されたものであるかのように、捉えていたわけだ。「屯」と「Φ」と「串」の類似を類似としてやり過ごしていたからか?しかし、またまたよく見てみると「串」には長方形がふたつあるのだが、「Φ」には丸がひとつしかないことに気づく。もちろん「□」と「○」の違いもある。たったこれだけのことを見落としていたばかりに、「鈍い」を「するどい」と読み違える癖が直らなかったのか。






黒沢清の第一印象

仙川に『TINYCAFE』というそれこそちっぽけな、こじんまりとしたカフェがあるのが、そこにはうら若き可愛い店員(男の子)がいる。なぜか彼とは映画と「ゆらゆら帝国」(バンド)の話しかしない。彼はどうしようもない映画好きなのだ。(そして彼は楽器が弾けないことに必要以上にコンプレックスをもっている)ぼくは彼に対してゴダールがどうのとかとかウィトゲンシュタインがどうのとか啓蒙しているわけではないが、どうも「難しそうなお兄さん」と思われているのを痛切に感じている次第だ。つい先だって、そのうら若きお坊ちゃまが黒沢清の『回路』という映画をあまりにも、あまりにも、あまりにも、あまりにも、あまりにもしつこく「見ろ」というので、それをビデオを借りてきて見た。黒沢清に関してはいい印象をもっていない。23歳か24歳かそのあたりにとある打ち上げの席にいて、そのテーブルは黒沢清を囲むというものだった。スペース・ベンゲットという映画企画集団兼ミニシアターが京都の四条大宮あって、スタッフのうちのシネフィルの一人が黒沢清特集を企画したのだった。(ぼくもスタッフをしていて企画したことがあるが、ぼくが企画したのはラス・メイヤー監督の『ファスター・プッシーキャット・キル・キル!』という16mmのセクスプロイテーション・フィルムだけであった。そのフィルムを借りるために、東京(たしか赤坂にあったかな?)のフィクション・インクの大類信さんまでわざわざ交渉にかけつけ、氏にラス・メイヤー宛の手紙を書かされたものだった。まだ35mmにブロウアップされていなかった時代の話だ)黒沢清特集上映、それは御茶の水にあるアテネ・フランセ文化センターが企画したものをそのまま京都にもってきただけの企画であって、ご多分に漏れず最終日に上映後の黒沢清ティーチ・インがあった。そしてスタッフたちはそれこそ金魚のフンのように、ぞろぞろと打ち上げに参入したわけだ。『しがらみ学園』や『スクール・デイズ』、その他立教大学のパロディアス・ユニティー時代作品ばかりの特集上映で、氏がゴダールに影響されているのを深々と感じいった次第だった。中にはジャンヌ・モローの『つむじ風』が挿入曲に使われいていた作品があったのを覚えている(黒沢清トリュフォーの『ジュールとジム』経由で使っていたのだろうが)。そして、打ち上げの席で特集上映を企画したシネフィルはこう氏に聞いた。「なんとかという映画(失念した)の中で『構造と力』という立て看板(大学キャンパス内によくあるやつ)が映ってましたが、黒沢さん、『構造と力』、読まれたんですか?」そして黒沢清はこう言った。「そんなもの読んでるわけないでしょ。」と。ぼくは、そう言い放った時の黒沢清のニコニコした嬉しそうな顔が忘れられない。そこに何を感じたのは、なかなか上手く咀嚼できないけど、浅田彰(あるいはニューアカデミズム?)への些少なアイロニーか、パロディアス・ユニティーの映画教育装置的存在であった蓮実重彦の京大ないし京都学派にたいする齟齬(蓮実重彦の父親は第二次大戦中に中井正一が京都で主催していた『土曜日』という雑誌にも執筆していたらしい、と誰かに聞いたことがある)から綿々と無意識的な領域をつたってふと、その突き放したような言葉が表出されたのかなと今になって思う。しかし、そういった外側の印象は、黒沢清の作品を語ることとは徹底的に無関係になされなければならないだろう。しかし、ぼくが見たのは8mm時代の作品と、『神田川淫乱戦争』、『ドレミファ娘の血が騒ぐ』、そして『回路』だけである。他は見ていないし、見る気がしない。それだけだ。黒沢清の作品については語りたいとは思わない。お坊ちゃまよ、そういうことだ。