「IMAGE」と呼ばれる対象についての唯一の回答へのヒント その3

 (切断面と即時性)




像、他者の発話、文字、風景、ちょっとした徴から「A即B」という原則に基づいて<われ‐われ>の記憶は即時的に<そこ>から析出される。<そこ>とは、記憶の入口と出口が一枚の紙の表裏のように貼りあわされている<状態X>であり、それは、しかし、対象化以前に瞬間的に現れては消える切断面の連なりでもある。つまり「A即B」の原則は常に<状態X>の連続性に基づいており、両者は蝶番的な関係を結んでいる。


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水を沸騰させようとする、しばらくして「もう沸いたかな」と確かめに行く。そこで水を知覚した場合「まだだ」と判断できる能力(像が導く悟性的判断)の真の在りかとはどこなのか?脳を一元的、一方的に「記憶の空間的な隠喩」とみなすのは間違っている。それよりもはるかに重要なのは、瞬時に切断された<そこ=状態X=文法的に「まだお湯が沸いていない」と判断可能な>像にこそ、諸記憶が折り畳まれているとみなすこと(命法的な恣意性−投企)である。(「脳を考える脳」という言い方にみられる脳のメタプログラム性や、「脳内革命」という空間的な通俗的隠喩こそが、像の諸切断平面そのものに折畳まれている記憶の複数的実在性を隠蔽する)


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<状態X>=「A即B」の原則、つまり「<水(A)>即<沸いていない(B)>」の原則は、外側から瞬間的に賭けられた<像=重層化された記憶=「沸いていない」の判断の析出>そのものの謂れである。この場合「助動詞」(映像)は「動詞」(判断)を助けることとなる。
(8参照)