2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧
カメラを廻す。モンタージュを前提しないで、50カット撮ってみようと決める。地味な作業に慣れるためだ。すべてフィックスの30秒廻し。被写体はなし。成城方面まで歩いて、途中NTTの寮のあたりの閑散としたところで樹木や砂の陰影や空き地などを撮る。周…
レイトショーの『さすらい』を見に行けなかった土曜の夜と日曜の朝。4、5日前、もしもし電話で誘われてJR渋谷線路脇のDESEOなるクラブでサイケアウツG(GはGHOSTのGだそう)のライヴ。久々の面々や初めての面々で、やや新鮮。サイケアウツ自体はあまり変わ…
映画とモダニズムについてのソフトな会話♪(その7) ●「さあ、あれから1週間たったわよ。読んだ?『モダニズムのハード・コア』(太田出版 1995)。」 ▼「うん。読んだよ。でも、難しいな、ソフトな会話にしてはハードすぎる。しかし映画の文脈で使われて…
徹夜のあと、早朝にMDウォークマンを鞄に入れて、フラフラと外へ出る。いかなる動機かはともかく、ぼくと一緒に仕事をしたいという若者からMDが送られてきたから。なんて奇特な人なんだろうかと思いつつも、内心はちょっとうれしいかな。部屋でも聞いたのだ…
例えば「リンゴ」という単語を知らない人に「リンゴ」がどういうものであるかを教えなければならない時、「これがリンゴだよ。」と実際のリンゴを示せばいいのだろうが、「ニュアンス」という単語を知らない人に「ニュアンス」をどう教えればいいのだろうか…
△「ジュリちゃん、かわゆい・・・」 ○「上野樹里ちゃんね。彼女は広末涼子と同じ、クレアラシルのイメージガールだったんだよ。」 △「そうだっけ。ぼくが見たのはNHKの連ドラの「てるてる家族」(2003)が最初だったかな。その前には消防署のポスターなんかに…
「ぶどう・・・」と、なんの脈絡もなく、ふと口をついて出た「ぶどう」というかすかな音を鼓膜に残したあと、彼女、つまり世田谷の有閑夫人のなかでも、指折りの時間とお金をもてあましているだろうD夫人は、腕時計をちらっと覗いたかと思うとバルコニーのカ…
備忘録。渋谷、午後6時、文化村で「印象派展」を見たあと、友人の紹介で、アサオさんと会う。映画の段取りのための段取り。アサオさんは映画監督であり、日本で五人しかいない特殊装置技術者。だが、彼の映画はまだ見ていない。性能の良いマシンガンのよう…
アド・キルーの『映画とシュルレアリズム』(1963)。神田の矢口書店で旧版がでていたのでもとめる。フィルムアート社から出ている新版では削除されている、その紹介文に吉田喜重(1933〜)がこんなコメントを寄せている。 映画には古典はなりたたないという…
その6 ▼「前回は、映画批評家でもなんでもないぼくが、小林秀雄のマイナーなテキストを引きながら映画批評に向き合うべき倫理的態度がいかなるべきであるかをちょっとだけ確認したつもりなんだけど、どうなんだろね?一本の作品と向き合うときって、映画を…
それは習慣としてそう言われている以上に、そう言う所作において、それがなぜそう言われつづけるか、その原因や根拠、そして無意識に潜むイデオロギー的虚構をそれ自体がそれ自体をもって、どこかに隠したまま、それは、そう言われ続けているように思えてな…
熱っぽいからだをひきずって初台まで。ついでに笹塚まで出て、おめあての古書店に行く。ずいぶん前、代田橋に住んでいた頃にエイゼンシュタイン全集があったのを覚えていて、さすがにもう売れているだろうとおもいつつもわりと良い本屋さんなので足が向いて…
(その7) ■16メモ15より「事物」「像」「表象」「イメージ」の関係は明らかにされた。イメージは、所与の時間にも、空間にも属さない、「事後性」において、論理的に発生する対象であった。しかし、メモ15の付記で示したように、イメージが論理的に発…
昨年より放置状態にあった短編の音響設計。さっさと仕上げたいのだが、ずるずる停滞していた。フレーズ単位ではバロック期の音楽が好ましい。アルビノーニやバッハ、ヴィバルディーがフラットに分解しやすいだろうか。とくにバッハの異なるフレーズを二重に…
●「どう?あれからすすんだ?」 ▼「ちょっと調子悪いかな。天気が不安定でやや風邪ぎみ。でも、小林秀雄の『映画批評について』っていうテキストを見つけたんだー。」 ●「へえ、いつ書かれたものなの?」 ▼「1939年3月『日本映画』って雑誌に掲載された…
昨日「十字路で」をアップロードしたあと、おそらく「十字」という記号の流れもあったのだろう、十字架ついてぼんやり考えていた。ぼくは子供の頃、十字架がひどく怖かった。その恐怖は小学三年生あたりまで続いていた。なぜ怖かったのかというと、イエス・…
昨日はポカポカしていた。スケッチするわけでもないのに、スケッチするかもしれないと思い、スケッチブックを抱えてロケハンがてらに蘆花公園あたりまで歩いた。ふさわしい場所はみつからなかったが、一ついい光景に遭遇した。南烏山をすぎた、わりと閑散と…
今日の午前4時15分、匿名の方からメールがきていた。こんな超マイナーブログでもそれなりに興味をもっていただいているのはありがたい。メールは「エリエリの感想読みました。けど、あんたは何者なの?えらそうに。」という趣旨のものだ。一般的にはコメ…
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』をめぐってのソフトな会話♪ ●「あおいちゃん、カワユイ・・・」 ▼「そうかなあ。あんまり好みじゃないな。むかしの岡田茉莉子の方がよっぽどキレイだよ。やはり『秋津温泉』(1962・監督/吉田喜重)かな。昔、四方田犬彦っ…
「映画とモダニズム」についてのソフトな会話♪ その4 ▼「昨日はちょっとぼくが話しすぎたかな。ところで美学専攻の君に聞くけど、美学というか、アート界におけるモダニズムって一体全体どうなっているんだい?ちょっと変な聞き方だけど。」 ●「そうね。学…
「映画とモダニズム」についてのソフトな会話♪ その3 ▼「さて、ソフトな会話を再開するか。」 ●「じゃあ、聞くけど、モダニズムが表象じゃなくて概念なのだとすれば、どういった概念なの?」 ▼「そう、それこそ、ちゃんと説明された上で小津論が展開されて…
9 「チャップリンにおけるギャグ」 「ギャグ」は、一般的に行動を自動的にしようとする独自の様式をもったひとつの手法である。要は、コメディア・デ・ラルトの仮面が人物を自動的にしようとするのと少しばかり似ている。「ギャグ」と「仮面」は二つの極(…
今日は電車に乗った。なぜ電車に乗ったかというと、電車に乗りたかったからだ。(ぼくは最近「箱」に注目しているのだ)。そこで電車に乗りながらふと思ったことをふたつ。ひとつめ。まず、あたりまえのように外に景色が見える。空、雲、家、ビル、看板、鳥…
経験がコトバを生むのであってコトバが経験を生むのではない。「ねえねえ聞いてよ、昨日これこれがあって・・」。コトバは交換されるが、経験そのものは交換されない。昨日の経験をコトバにしたんとたん、昨日の経験はコトバから疎外される。「○○ちゃん、私…
今日はドライヴ。シナリオ・ハンティング(というか設計図ハンティング)がてらでもある。14:00に待ち合わせ。仙川でレモンイエローのレンタカーを借りてゴー、コンビニで軽く腹につめ、高井戸から首都高へアップ・ロード。9歳の年下のS君が持参して…