制作メモ



カメラを廻す。モンタージュを前提しないで、50カット撮ってみようと決める。地味な作業に慣れるためだ。すべてフィックスの30秒廻し。被写体はなし。成城方面まで歩いて、途中NTTの寮のあたりの閑散としたところで樹木や砂の陰影や空き地などを撮る。周りには恐ろしいほど誰もいない。三脚にカメラをセットし、パン棒をならす。あれこれ徘徊しながら対象を選択するが、そのプロセスに過剰に敏感になってしまう。「なぜこれか?」ではなく、「この映像がどう機能するのか?」という問いとともに廻していると、「要するに撮りたいのは何も機能させない映像だな」との思いにぶちあたる。「機能させないことによって何かを機能させる映像」と言えばよいのか?それとも「無の働きの映像」と言えば通りがよいか。そういうものを撮る。いちいち言語化していると映像が逃げてしまうということにやや苛立つ。使ったのはSONYの民生用のビデオカメラなのだが、HI‐8時代のアイリスのダイヤルとデジタルになってからのアイリスのダイヤルはまったく違う。HI‐8の方が微妙な陰影をとってくれるし、ファインダーがモノクロの方がかえって、白黒コントラストには敏感になる。動いているものを避けて撮っていると必ず音に敏感になってしまう。音の変化が映像を映像として固定しはじめ、ずっとファインダーを覗いていると音−映像の変化がその都度映像をつくりなおしているようだ。こういったテスト撮影ではヘッドフォンをつけた方が面白い。いつの間にか子供がちらほらよりついてきたので、戯れに撮ってやる。撮ったものをその場で見せてやるといたく喜んでいた。子供の靴が異常に汚れていたのが気になった。昨日の雨でどろんこになったのだろうか?