2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧
重くのしかかる灰色の真昼頃、千駄木に向かう列車の中で、わずかな偏頭痛を抱えた僕の右隣に薄い灰色の上下服を着た修道女が座った。前方の座席には母親と子供が座っている。僕が勝手に推定すると、39歳と3歳だ。子供は母親の右腕の上方から下方に向けて…
「アニマル京子は東山千栄子と似ている。」だが、この記述は間違っている。「東山千栄子がアニマル京子に似ているのであって、アニマル京子が東山千栄子に似ているのではない。」なぜか?それは「見た順番」と関係がある。 昨晩、就寝前にフトンにもぐりなが…
用件をサっと言ってサっと切るタイプだと、その話相手が察しているのだろうか、長電話を普段めったにしない僕でも、それでもたまには長電話をする。つい先日、来月なかばのイベント(↑参照)に参加してもらう映画批評家であるとカネガネ盲信していたが、実は…
目下のところ、『日本霊異記』に注目している僕だが、『日本霊異記』を読んだ事もないのに、なぜ『日本霊異記』に注目しているのかがさっぱり分からない。と、思いつつ、現在の体力と精神力からいって、とても90分で読めそうもないだろう『90分で読める…
普段テレビを見る習慣のない私は、それでもたまにテレビのスイッチを入れる。 今日は13:07分頃にスイッチを入れた。決まりきったように何かが映っている、その事実をぜんぜん意識できないくらい、うんざりするほど何かが映っているのだが、例によって…
とくに「これを」というわけではなく、『ロビンソン・クルーソー』75分をあからさまに淀川長治がセレクトしたことをそのパッケージにおいて主張するヴィデオ・カセットで見る。「ダグラス・フェアバンクス イン・・」と冒頭画面にデカデカとクレジットされ、…
およそ映画でも絵画でも塗り絵でも彫刻でも、<非ー言語的表象>なるものにおいて、<像そのもの>を<像そのもの>として他者に伝達することはできない。<像>をより完全に伝えるためには、いかなる言語にも頼ることなしに<像>の完全な模倣を他者の目の…
アレンジメントは、オリジナル神話を解体する。 同じ『ゴールドベルク変奏曲』でも、ポリーニとグールドとポゴレリチではまったく音の現れ方が違うように、固有の作品ー媒体はアレンジ次第でその輪郭を奪われる。作曲者に対する演奏者という相対性を忘れて聞…
洗濯をするのはいい。洗濯ものを干すのもいい。だが、洗濯ものを畳むのがめんどくさい。
特にこれが見たいという訳ではなく、『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975)をシネマスコープサイズからヴィスタサイズにトリミングされたヴィデオカセットで見る。単体の『男はつらいよ』ではなく、シリーズの『男はつらいよ』の事を考えるたびに次のトリ…
『チキチキバンバン』の歌は知っていたが映画は見ていなかったので、ヴィデオ・カセットで『チキチキバンバン』(1968)を見る。本題は『chitty chitty bang bang』なので『チッティーチッティーバンバン』だろうが、どうして「チッティー」が「チキ」となっ…
『ストレート・ノー・チェイサー』には強度があり、『ストップ・メイキング・センス』には諧謔があった。『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』には享楽があり、『ザ・ウォール』には抵抗があった。・・・・シアトリカリティーの連発的現前に失笑しながらもC…
とりわけ大阪梅田のLOFT地下にあったテアトルは客席フロアの傾斜角度が十全に計算されたものだった。要するに客席数とスクリーンの大きさとのバランスを計算した上で的確にスロープがとられている。そして、ここシネ・セゾン渋谷もまた、肩までではなく、頭…