普段テレビを見る習慣のない私は、それでもたまにテレビのスイッチを入れる。
今日は13:07分頃にスイッチを入れた。決まりきったように何かが映っている、その事実をぜんぜん意識できないくらい、うんざりするほど何かが映っているのだが、例によって例のごとく、さして視線を促してくれる要素もなかったので、チャンネルを切り替えようとしたとたん、子供服を着たやや太り気味の女の子(小学生高学年あたりか)が「映画を撮るのよ!」と子供部屋でウダウダしながら着色料満載のオレンジジュースをチューチュー吸っている別の子供たちに向かっていきなり叫んだものの、「お前狂ってんのか?」や「暑さでやられたんじゃないの〜?」とその場に居合わせた男子が太っちょの女子を揶揄しはじめるので、普段ドラマに釘付けになることのない僕でも、「それで、どうなるのか?」と、やむなく画面を注視することとなった。どうやらその女の子は母親が最近「やつれている」と察しており、母親がここ数年も映画もお芝居も見ておらず、子供を育てるために働きずめで「最近、ママは極めて感動不足なり。」と懸念していた事から、なんとかして感動不足の母親をめいいっぱい感動させたいという思いが募って「映画を撮る」という決意にいたったのだ。その子は「『ローマの休日』みたいに、誰でも楽しめる昔ふうの映画を撮りたい」とその企画アイデアらしきものを仲間に開陳するも、しかし、子供たちは、太っちょの女子の「映画を撮る」発言を「映画を観る」発言と、なぜか取り違えてしまい、「おれ、『マトリックス・レボリューション2』が見たいんだ!」と半ズボンをはいた男子は主張し、一方で安っぽいデレデレのワンピースを着た女子は「ぜったい『木更津キャッツアイ』よ!○○君って超カッコイイ〜。」と自らの胸を両手で抱き合わせ、目からハートマークが連打されているような表情をする。そこで、いいだしっぺの太っちょの女子は激しく怒りまくり、その怒声の大きさからか、いったんその場は静まるものの、次にやってきたのは「スタッフィングとキャスティングをどうするか?」という問題であった。ある男子は助監督というものが何なのかわかっていないにもかかわらず、「オレ、助監督!」と名乗りを上げ、ちょっとおませな感じの女子はこの世の最初の最初からそれが決定しているかのごとく「私、主演!」と、「主演女優」をやる事を激しく主張する。そこで太っちょの女子はまたまた怒りまくり、「みんな自分勝手なんだから!そんな事より、どういった話にするのよ!」と話を「ストーリーの決定」の方に切り替える。
そこで、主演女優候補の女子は「そうよね。映画ってストーリーよね。ストーリーを考えなくちゃ。」とストーリー絶対至上主義者のようにふるまい、「そうだそうだ」と、みながみな「う〜〜ン」と唸りつつストーリーの事で頭がいっぱいになっているその時、「いいわ。私、傑作を書くから。」と主演女優候補の女子は急にシナリオを自ら書く事を周囲に示唆したあと、部屋に閉じこもることとなった。なぜなら、その女子は「自分でシナリオを書けば、自分が主演になれる」と思いこんでいるからだ。しかし、男子二人はクラスメイトのなかでもめっぽう人気者でカワイイ、○○ちゃんをどうしても主演女優に選びたくて仕方がない。男子の一人は、いてもたってもいられず、電話で、○○ちゃんとアポをとり、公園に呼び出し、勝手にビデオカメラを回しはじめ「おっ、イイ感じ〜。イイ感じ〜。」と褒めそやす身勝手ぶりだ。そこになぜか息を切らしながら駆け足で登場した、主演女優になりたかった安っぽいデレデレのワンピースを着たおませな女子は「何よアンタ!私が主演女優なのよ!」と激しくジェラシーを露呈し、その場が(なんとなく)ガヤガヤともみくちゃになったその時、太っちょの女子がなぜか駆け足で再び登場し、「みんな、もう手伝ってなんかいらないわよ!映画なんてヤメ!!!!」と、大声で叫んだあたりに画面下部に「つづく」と出た。