新・映画ノート 18

夜の訪問者
テレンス・ヤング
1970
DVD

 

 

イギリス映画かと思いこんでいたが仏伊合作。全編くすんだ色調でハイコントラストのコダックアメリカ色をあらかじめ脱色してある。砂塵、土埃の自然な感じを出すならFUJIFILMの方がいいのかも。

 

 

チャールズ・ブロンソンの半袖の黒Tシャツ、その袖から伸びる腕が異様に素晴らしい、と、前半そればかり見て恍惚としていた。


ブロンソンの顔貌特徴はやはり口髭で、知ってる人なら晩年の中上健次とそっくりだ、と誰しも指摘したくなるだろう。

 


ウーマン・リブ」に似ているリブ・ウルマンも派手な女優ではなく、終生ベルイマンのパートナーだったことに、妙に納得する。

 

 

ストーリーは明瞭だし、テンポよく事が進んでゆくが、初期007で慣らしたテレンス・ヤングの小粋なスマート殺人の演出が効いている。荒くれ暴力殺人ではなくスマート殺人をキメるというのは逆のスペクタクルをもたらす。緊張感の持続。


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荒野のガンマン
サム・ペキンパー
1961
DVD


白人男性のヘテロセクシュアルな女性支配をなんとか反転しようという動きがある。モーリン・オハラはブルーのリボンで後ろ髪をしばったり、ほどいたり、で女性化↔男性化(というよりも女性の中の男性化↔女性化?)の往復。それはさりげない演出だ。そしてロングドレスにライフル銃。このスタイルも随所に見られる。

 

 

大昔セルのヴィデオカセットで見た、「我谷は緑なりき」(ジョン・フォード)もオハラ助演で地味にいい映画だったが、現在では機能しづらくなっている単一の家族物語がまだ信じられていた時代だ(と分かって見ている)からか。

 

 

引きの画面がやたらに多く、バストショットはあるがクロースアップが厳密に言ってひとつもない。押し引きのない画面構成なので必然、感情移入度が縮減される。

 

 

アメリカ人にとっての西部劇とは日本人にとっての時代劇であり共通しているのは馬の登場である。

 

 

スタンダードサイズとは馬一匹がすっぽり収まるサイズとして有名だが、それを数匹横並びにするとシネマスコープサイズのフレームの美学的意義が強調されているように思える、という錯覚。ちなみに主演のブライアン・キースは1997年に拳銃で自殺している。

 

 


アルジェの戦い
ジッロ・ポンテコルヴォ
1966
DVD

 

 

サルトル、ファノン、ジュネなんかを集中的に読書したことある人ならグッとくる作品かもしれない。100年以上続いたフランスによる植民地だったアルジェリア、その中心部アルジェを中心に独立戦争が起こり、ついに独立を果たすまでの流れを(FLN アルジェリア独立解放戦線の運動プロセスを軸に)ドキュメンタリー風に撮った(一応の)劇映画(と思いたい)。

 

 

1966年ヴェネツィア映画祭でフランス映画関係者の怒りを買ってみんな会場を出ていったらしい。ただ一人残ったのはトリュフォーだけ…という逸話も残っている。全員アマチュアの役者であるにもかかわらず金獅子賞をとっている。

 

 

ジャック・リヴェットがポンテコルヴォの「カポ」というアウシュビッツを描いた映画の中で用いたトラベリングショットを批判していて、