2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧
■ 編集ノート 1 編集というコンセプトは次の点において重要である。 1 「無関係な2つもの」と「関係のある2つもの」は、「編集」それ自体が媒介している。これは「無関係性」(私とあなたは関係ない)と「関係性」(私とあなたは関係ある)が「同時的現…
■ 建築ノート 6 ところで、主に戦中戦後に活躍した美学者、中井正一は「壁」(1932)というエッセイで次のようにいっている。 _________________________________ 機械と集団建築が生活の大衆的単位となりつつある時、壁…
■ 建築ノート 5 「建築ノート 4」において、私は壁が壁であることを注視させない<壁そのもの−物質>について触れ、その物質性こそが<建築への無関心性>をおびきよせるものだといった。 ところで、ベンヤミンの言う<建築に向けられる散漫な知覚体制>と…
■ 可能涼介『圧縮文学集成』 一昨日、自室のドアの前に本が置いてあった。「新著が出ました。ご高覧下さい 。 可能」とペンで書かれた茶封筒に本が入っている。さっそく手に取ってみる。帯に柄谷行人と康芳夫の推薦文が掲げられている。 「可能性の文学がこ…
■ 建築ノート 4 さて、ここで「建築への無関心性」がいかなるものなのかを考えておきたい。通常わわわれは「家」に住んでいる(ここではワンルームマンションなどの「部屋」も「家」として見なしておく)。「家」に住んでいるにもかかわらず、「家」を常々…
■ 建築ノート 3 「ディコンストラクション(脱−構築)をコンストラクション(構築)の問題から考えること」、この動機が通底する柄谷行人の『隠喩としての建築』は、著者が述べている通り、磯崎新の『建築の解体』(1976)の影響下において書かれたといって…
■ 建築ノート 2 「建築」と「建築術」。この二項は、それらの「対立」ではない。なぜならあらゆる「建築」は「建築術」に包含される他ないからである。言うまでもなく「建築術」があって、はじめて「建築」が成り立つ。あらゆる「建築」は「建築する技術」…
■ 建築ノート 1 数年前、柄谷行人の『定本 柄谷行人集2 隠喩としての建築』の「英語版序文」と「後記」を読みたいばかりに、たしか新宿のJUNK堂で購入した。当時、実際に目を通したはずだが、最近、再読してみて新鮮な発見があった。それは柄谷行人が、現…
■ 古谷利裕の新作 吉祥寺100年 「もぐら叩き」というゲームがあった。10数個の穴からモグラが出たり入ったりする。出現中のモグラを狙って、でかいトンカチのようなもので叩くのに成功すると点数が稼げる、といういたって単純なゲームだ。モグラは複数…