■ 可能涼介『圧縮文学集成』
一昨日、自室のドアの前に本が置いてあった。「新著が出ました。ご高覧下さい 。 可能」とペンで書かれた茶封筒に本が入っている。さっそく手に取ってみる。帯に柄谷行人と康芳夫の推薦文が掲げられている。
「可能性の文学がここにある。」柄谷行人
「中上(健次)君にも読ませたかった。」康芳夫。
数年前、柄谷行人は『近代文学の終わり』を出版したが、一方で「近代文学の蘇生」を肯定的に捉えている。この相反した態度の共存に近代文学の、存続価値の是非をめぐる「根深さ」を見て取ることができるだろう。彼が、いわゆる「文壇バー」に顔を出して「不断の売り込み」をかさねているのかどうかは今は知らない。(ちなみに「5月に出て行く」と3月頃に言いながら、まだ隣に住んでいる)。個人的な話だが、柄谷行人と可能涼介にまつわる記憶がある。私が20代後半のときの話だから2000年前後の話だろう。瀬戸内海に浮かぶ佐木島で宮岡秀行率いるスタジオ・マラパルテ主催の映画のイヴェントがあり、その場がはねてから、海辺で夜風にあたりながら、柄谷行人と3時間ほど話し込んだことがある。その1週間後あたりに、突然、東京にいる可能から電話がかかってきた。「呑んでるんだけど、いや、今ちょっとある人物に変わるから・・・」電話口に出てきたのが柄谷行人だった。柄谷「宮岡はハスミ派か?」野上「いや、違うと思います。」柄谷「お前はハスミ派か?」野上「まったく違います。」
さて、『圧縮文学集成』。この書物が今の文芸界でどういった位置を占め、いかなる批評を誘発するのかは現代日本文学に馴染みがない私には知るよしもない。私見だけ述べておこう。
文学や小説に日頃慣れ親しんでいない私は、しかし、映画制作のために脚本を書いているせいもあって、「物語」や「物語性」については考えることがある。そこでぶつかってしまうのが、「物語」が根源的に表現されているのは「小説」ではなく「文学」の方である、という見解である。ところで「小説的物語」と「文学的物語」は似ているようだが、そこに「差異」を認めないわけにはいかない。そして、個人的に重要だと考えていることは、「文学」と「小説」の区別をはっきりとしなければ、結局両者は理解しえないし、相互に乖離が進むだけだ、という見解であり、それはすぐさま「小説」が常に「文学」を隠蔽し、抑圧してしまうというヒエラルキーを強化してしまうという見解に繋がる。(あくまでも「文学」が先行概念である)。
「文学とは何か?」一言で言えば「抵抗」である。それは「ペンは剣よりも強し」という意味においてであり、作家が生きている社会的諸条件を徹頭徹尾知り抜かないと書き得ないものである。共産主義政権がまだ幅を効かせていた旧ソビエトの時代や、社会主義政権によって「表現の自由」が抑圧されていたポーランドやチェコスロバキアにおいて、作家は「国家制度」がもたらす抑圧を解き放たなければならない、という意味での「抵抗」である。(そういう意味で、今の日本では「文学」は成り立たないが、「小説」は成り立つ。)
しかし、この認識は社会主義国家や共産主義国家が崩壊し、資本主義が全世界を覆うことになった今、「有効」ではない。なぜなら、文学が資本主義化することによって、逆に「表現の自由」こそが「制度=権力」となるからである。この状況下においては、「物語らない自由」や「物語らない自由を語る自由」といった転倒した認識がなされることになり、また、この認識を通過していない者は物語作家とは呼べない。一方の「小説」とは何か。それは、古く文芸批評家の小林秀雄が規定した「私小説」において、いまだ連綿と続いている「何か」以上のものではない。そこでは「本当のこと」を「嘘っぽく書く」ことや「嘘」を「より本当らしく書く」ことに主眼が置かれている。しかし、小説における「現実/虚構」の議論ほど退屈なものはない。なぜか?それらを熱心に語るものは、書かれた内容がいずれにせよ「日本語」として通じるという「どうしようもない現実」の「現実性」を見ていないからである。
私は小説においては「現実一元論者」である。(なお、現実一元論的小説としてもっとも際立った作品は、カフカの『観察』であるが、ここでは詳しく述べない)。現実一元論はもちろん「一元的に意味が通じる」ことに基礎付けられ、それは<歴史的に>形成されてきた。したがって現実一元論者にとって、言文一致運動や、漢字仮名混交の制度や、諸外国の他言語や国際言語基準の「ノシロ」までも含めて、「意味が通じるということは何か」を考えるのは必須であるし、80年代の柄谷行人ブームは「文学」がこの世に在る以上、たんなるブーム以上の「必然的需要」をともなうものである、という認識を必ず持つに至る。
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『圧縮文学集成』は3部で構成されており、それらは「小説」「戯曲/詩編」「エッセイ」である。なかでも小説「エピファニー 2 そしてそのあと」(p,38〜p,74)がよかった。・・・・絵描きの「おれ」は「絵にならん」と一日千回以上呟いているが、その嘆きをなぜ文字にして「書くのか」ははっきりとわかっていない。たぶん「暇すぎて文章を書いていたりもする」のだろう。しかし「いくら暇でもテレビだけはみない。」なぜかというと「テレビは絵にならん」からである。・・・・可能は「絵は絵でしかなく、テレビはテレビでしかない」ことをよく知っている。万事快調である。(2010−05−20)