三人で

16時かそのあたり、久々に乗る電車内で異様な息苦しさを感じる。座ればなおさらだ。前に立っている人々の隙間から遠くの景色を見つけては、視線が一番遠いところをめがけるように努力する。そうすると息苦しさは、少し緩和される。電車は渋谷に着いた。裏手のターミナルからバスに乗る。バスはガラガラだ。ぼくと、おばさん一人か。バス内の照明は暗いから相貌がつかみがたい。おばさんは2つめの停留所で降りた。こけないように手すりをつかんで。とても、ゆっくりと。ぼくは7つか8つめの停留所で降り、地下道をくぐって六本木ヒルズの入り口に辿り着く。チケットを買うために並ぶ。いらいらする。チケットを買う。観光客の中国人4、5人が威勢のよい会話をしている。どうやら展望台に行くかどうかで意見が分かれているらしい。通路が塞がる。警備員が右手を差し出して、中国人たちの脇をさっさと通るようにぼくを促す。エレベーターには4人乗った。エレベーターが混雑しないように、あれだけの時間をかけて並ばしているのだろうかと気づいた。52階、「着いた」と電話する。カフェの奥からビスコがやってくる。濃緑色のビロード地のワンピースに、白薔薇の飾りものが肩の下につけてある。ビスコは外人に英語であれこれ喋りかけられていて辟易していたと伝える。レモンティーを頼んで、煙草の吸えるスペースまで移動する。夜景が眩い。赤い警告灯がところどころで点滅している。ジェット機が斜め上を横切っていく。瞬間性のカタルシス。目の上っ面だけで感知するそれ。細部の現実が剥奪され、一気に表層に還元されている夜景。視覚はそれを美しいと感じているが、しかし館内の空気の薄さがぼくの肺を喜ばしてはくれない。身体はすでに引き裂かれている。レモンティーはすぐになくなる。レーベンブロイを瓶のまま呑む。ビスコとあれこれと喋っているうちにデニヤンが来る。カラフルなチェック柄のシャツにジーパン。透明のフレームのめがね。「10年振りくらいか、しかし、最後にあったのはたしか・・」そんな話をする。デニヤンの部屋をロケに使う予定だったが、彼が女を追っかけてバリ島まで飛んだのでロケがキャンセルになった、あのときは悪かった、と彼の話を聞いて思い出そうとする。しかし、ぼくはまったく記憶にない。記憶にない、という事を思い出しているのか、どうなっているのか?京都時代の知人、リュウセイという男がヒルズで働いていると聞く。2008年の北京オリンピックに備えてのことか、森ビル北京版の建設が決まったということらしい。ビスコもデニヤンもビールを呑みだす。スピーカーからの音が突如大きくなる。「でかい、でかすぎる。」と言い合う。クセナキスを大音量でかけるとみんな避難しはじめるんじゃないか、そんなことを思う。ビスコフィリップ・グラスあたりをかけてほしいと言う。20時くらいまであれこれ話したあと、三人でヴィヴィアン・ウェストウッド展に足を運ぶ。