ハンセン病については、あまり知らなかった。もう20年前ほどだが、一度奈良のハンセン病病院の廃墟を見た(連れあいにそう告げられた)。中には入れなかったし、時間もなかったので、通りすぎだだけも同じだ。しかし、その一瞬に近い遭遇(出会い損ねとしての出会い)は記憶の底の底に残って、さんさんと光が降りる林の深い緑にぼんやりと確認できる古病棟の映像だけは脳裡に残っていた(いわゆる残像)。
2018年に清瀬市の病院街に行った。ここは東京都が意図的に設けた隔離病棟が林立していたという歴史がある。雰囲気は決して明るくはなく、人もあまりあるいていない。店舗もなく、点在するバス停留所がその存在をもてあますように佇んでいた。その時、清瀬市在住の連れあいに案内してもらった多磨全生園は衝撃的だった。おそらく日本国内ではいちばん規模の大きいハンセン病施設なのではないだろうか。
その施設は一種のハンセン病患者の自治都市のようになっていたらしく、その残骸が散見された。神社、寺、教会、園内の公衆電話ネットワーク、そして集合住宅、病棟。(映画館や消防所もあった)。園内に資料館があり、そこがまた充実したところだった。江戸時代か、あるいはもっと前から「お遍路」という長い月日を歩く修行があるが、むかしのハンセン病患者は(もちろん当時は癩と呼ばれていた)自己救済の宗教的儀礼(お遍路を続けると癩が治ると信じられていた)として行脚をつづけていて、その衣装が一番目に飾られていた。あと展示資料は300点以上あり、とてもじっくり見切れるものではないが、そのなかでいちばん印象に残ったのは、包帯を巻き取る機械だった。直径3メートルほどあり、それがハンセン病患者の皮膚崩壊の甚だしさを物語っていた。宮崎駿監督の「もののけ姫」(1997)には包帯を巻いたハンセン病患者が、たたら製鉄(今でいう鉄工所)で働いているシーンがある。あと、ここに書き切れるものでもないので割愛するが、興味ある人は一度足を運んで欲しい。
#8についての説明は、またの機会に譲ろうと思う。これは説明のいる小品なのだ。