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ひとりでのむこと ひとりで酩酊すること 酩酊哲学の準備
酩酊は近過去の酩酊それ自体を即座に忘却させる といえる し
酩酊中に酩酊を考察していては それは真の酩酊には至らない
酩酊は肯定的で 粋の精髄や美学に基づいている
マルクスのいう疎外論的飲酒もおおいにありうることだが
一種の「恥の意識」(日本的な?)とも 関係あるにちがいない
恥ずかしいのだ なぜか しらふのままでは
また
達成感の美酒をしてイメージ化され コマーシャライズされているともいえる
コニャックのナポレオンをあげるまでもなく
ある種の(権)力の価値としても もちあげられてきた ともいえる
が
もういや、だめ、のみたい 一杯どう? そのとおり つきあうよ のみましょう こころゆくまで
の文化
(超歴史的スパンにおいて)
ここに潜むバッカス(酒神)が与えた秘密の暗号(奥義)とは
いったいなんなのだろうか
これだけ人類が 人類のある種が 酩酊を繰り返していると
酩酊学というものが 必要になってくる きてもかまわないのではないか
酩酊学部 ウォッカ文化学科 そこで何を学ぶのか
娼婦 酒 は夜の産業 昼の産業のための夜の産業 近代
アメリカの禁酒法 マーカーシズム 赤狩り これも近代
酩酊自身がいったんいままでの流れを切断する (ゆるやかにであれ 大胆にであれ)
「いままで」をいったん脇へ追いやるような化学作用を身体と脳が認めているので
酩酊はくりかえされる
とめどなく 無意識的に 神秘的に 繰り返される
忘却せよ 忘却そのものを と 酒はいう
こんなことを買い物途中 仙川のオープンカフェでのみながらかんがえていたが
そこから300メートルか
画家のミロの絵を建物の壁にササッと描いたようなちょっとした文化系居酒屋?らしきが
出てきたのでぼーっとその絵か、らくがきかを見ていた
残っていることがわかる
なにが残っているのか というと
マイナス1の作用である
「無限=酩酊」のコードは「混沌=酩酊」のコードと識別されてしかるべきだ
マイナス1として 全体的に「ある対象」に賭けないと、それはただちに混沌に吸い込まれるだろう
賭けると 次の行為が明瞭になり 無限の観念をわがものにすることができるだろう
それが酩酊のミニマリズム=リピテーションの極意だ
何に賭けるのかというと それは そのときの 君次第だろう
余った世界 誤った世界
なぜしらふでこれをできないのか という問題が残されているが
それは「水で酔っ払う」(ヘンリー・ミラー)ことができないからである
ギャンブルは時間の無駄だ たしかに
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