目の前に




やや距離をとった二人連れが歩いていた。やや距離をおいて、ぼくはその後方を歩いていた。ある瞬間、女の手が男の腕をつかみ、すすっと道の脇に身を移し、ぼくを通りやすくしてくれた。しかしよくよく想いなおしてみると、女は背後にいるぼくの存在に気づいたとは到底思えない(背中に目がついているわけじゃないし)。ぼくは、なんでやろ?と不思議に思った。彼女にとって、それは存在に気づいた、というよりも気配に気づいた、というべき微細な覚知だったのだろうか。二人連れを追い越さねばならないほど急いでいたわけではなかったが、せっかく通りやすくしてくれたのだから、それを断るわけにもいかへんな、といったふうに歩をやや速め、追い越した。追い越すと、もう二人連れの姿はそこにはない。5秒後の世界や10秒後の世界が待っている。あいかわらずの霧雨がたらたらと頭をくすぐらせている。・・・まさに、今日記しておきたいのはそれだけのことだが、まず、女がぼくの方を振りかえることなく、ぼくの気配に気づいた(とぼくは99パーセント確信している)ということが謎だった。視界に入っていないものへの配慮、気遣いがなされていたということか。非−神秘的な感じもするが神秘的な感じもする。こういうことは年に1回くらいある。だが、二人連れの場合、男の方がぼくの歩行に気づき、女の腕をつかんで脇に移る、という逆のケースには遭遇したことがない。どうしてか。