土浦まで



イバラギ県はレンコンの産地なのは知っていたが常磐線から見える球形のガスタンクにもレンコン君みたいなマンガ絵がデカデカとかかれていたのには少しびっくりした。バスのボディペイントにせよ、「子供受け」や「わかりやすさ」を狙っているのは頷けるが、もう少しセンスのよいものが描かれていてもよいと思うし、ラフなマンガ絵が景観を損ねるとは言わないまでも、例えばブライス・マーデンの絵のコピーライトを取ってそっくりそのまま貼り付けて「これレンコンです」と説明したほうが、より進歩的なのではないかと思った。また、こういう視確率の高い公共物などに絵を描くとき、市はコンペティションは開かないのだろうか。




常磐線の中ではipodで音楽を聴いていたのだが、シャッフル機能に慣れてしまい、それしか使わなくなっていることに気づく。効果音大全集と演歌とジャズとロックとゲーム音楽(といっても細野晴臣)とバッハとJ−POPが予定不調和に流れるさまは頭の中を少なからず開かれたものにしてくれる。音量は小さめ、大きくしすぎるのは確実に頭に悪い。ジャンゴ・ラインハルトが流れても、うかれない程度の小ささが良い。




「趣味」というものは近代的なものだと思うが、趣味的に同系列の音楽しか聴かないのは面白みに欠けるし、だいたい「趣味」が自分の反映物だという考え方は早く捨てたほうがいい。だが、ipodにデータ転送するアプリケーションのituneという一次母体にその音を取り込む主体を完全に消去することができない、という意味において趣味性が完全に消えることはない。シャッフルと言っても、繰り返し聞いていると、どうやらipod自身が繰り返し自己学習しているシャッフルなのがぼんやりと分かってくる。リスナーを飽きさせないようなプログラム生成だ。クセナキスが言ったように偶然性すら管理されているのが現代なのか。




土浦市はもともと霞ヶ浦沿岸の沼地だったそうで、埋め立てられた時は祇園町と呼ばれたと石碑に記されてあった。霞ヶ浦で魚が多く取れるのだろう佃煮屋さんが多かった。あとは和菓子屋さんが目立った。cinema easterという潰れた映画館があり、看板の写真を撮っておいた。




居酒屋で一人で晩ごはんを食べているところにS君登場。最終バスに乗り、岡崎というところまで。レンコンをつくる沼地を間近で見る。レンコンはハスの花の根っこであり、仏教が大事にしているシンボルだ。(穴が八つ開いているから縁起がいい、と誰かが言っていた)そして、レンコンを採取するためには沼にもぐらなくてはいけない、それが大変な仕事なのだ、とS君が教えてくれる。自然にできあがったものなのか人工的なものなのかは分からないが、木の枝が水面にごちゃごちゃしている。茨城県の茨のようでもある。




ほとんど隠遁生活を送っているS君のほとんど何もない家に泊まらせてもらい、ちょっとした宴会沙汰になる。普段とは違った感触の布団でひさびさにたっぷり寝た。帰りに上野公園に寄って歩いていると岡崎で見た沼地の茨に遭遇して驚いた。不忍池でもレンコンが採れるのだろうか。