美術ノート 12




■ フランシス・ベーコン展  東京国立近代美術館





予想どおり、『ジョージ・ダイアの三習作』(1969)が印象に残り、帰り道に、いろいろ考えた。「貝の身を一度よく観察してみよう」とか「むかしは駅の改札口を執拗に観察するのが習慣だった・・・」とか「たしかにベーコンは同性愛者だったけど・・・」「なぜあのように顔をねじり込み、歪ませ、ありもしないレイヤーをつけ・・・」・・・たしかマイケル・ペピアット著の『ベーコン自伝』に書かれていたことだが、ベーコンは若い頃、国際シュルレアリスム展に出品して、そして「シュル度が足りない」と審査され、落選した。シュル度?どういう基準なのか?





回想。輝君(てるくん)と呼ばれるやや年下の男がいた。最初会ったときは、ブライアン・ジョーンズのような<坊や風>の髪型をしていて、彼はギター奏者だった。当時堀川今出川にあった「どん底ハウス」で(たぶん即席バンドだと思うが)カリフォルニア・デッド・ビーチというジャンクバンドのライブがあり、一度見た。客はゼロだったが、すばらしいライブだった。1993年あたりの話だ。そして1998年、街中の穴倉のような酒場でたまたま会った。そのときに輝君は「フランシス・ベーコンの絵に囲まれて、サックスを吹きたいんやけど・・」と、言い、どういうわけか、酔っ払っているうちに、「じゃあ、おれがベーコンの絵を映像化するからそれを見ながら吹けよ」ということになった。彼は高価なベーコン画集(洋書)を2冊もっていて、その他、アポリネールデュシャンが朗読した音声がはいっているフューチャリスモのCDや、パルチザンの闘争歌やハンガリーの民謡やらが無節操に収録されているめずらしいLPレコードを貸してくれた。





帰り道にいろいろ考えた。「ベーコンが描く<あの顔>はどうして、どのようにして導かれたのだろうか?」と。「きっと、アサリだな、アサリの身を執拗に観察したにちがいない・・・」。「・・・ホヤ貝かもしれない・・・」「いや、アサリもホヤ貝もヨーロッパにはないかもしれない・・」「だが、オイスター(牡蠣)ならあるかもしれない・・・」・・・メトロ東西線の電車を待っているホームで「やはり同性愛という経験もあったんじゃないかなあ・・・そういうことも<あの顔>に関係あるんじゃないかねえ・・」・・・突如「直腸という墓場」が思い出された。これは作家のジャン・ジュネが得意とするいいまわしで、ようするにホモたちが肛門性交するのはいいが、中で射精しても不毛である、ということを示している。精子は直腸内部で死に絶えるばかりで、ゆえにその場所が墓場となる。かなり詩的ないいまわしだ。そこではあらかじめ生産性(受精)が拒絶されている。パパがいてママがいて、ママの腕にくるまる赤ん坊がいる、という(よくある)多幸的なイメージの対極にある、絶対的不毛のポエジーであり、そして絶望の官能である。





輝君とやった「FRANCIS BACON CONVENTION」は大盛況だった。輝君が連れてきた画家のインプロヴィゼーションのペインティングも追加して行った。・・・当時、いや、今もベーコンの絵の素材としてはやはり「肉」がおおきなファクターを占めており、「人間はただの肉に過ぎない・・」という絶望的な認識がベーコンの絵のオーラをさらに崇高なものにしているようでならない。映画(映像)のなかでは、冷凍肉にアクリル絵の具で色をのせたり、自宅のトイレの天井からまとまった量の冷凍肉を吊り下げ、すこしずつ下に降ろし、ウォシュレットのセンサーに反応させて、ジョーと、洗い流し、解凍してゆくというシーンを撮影した。「人間はただの肉に過ぎない・・・アウシュビッツ・・・ヒロシマ・・・」そういえば冷凍肉を戦車型の花火で攻撃する、というシーンもあった。肉の再キッチュ化。





帰り道にいろいろ考えた。「要するに<あの顔>は<直腸という墓場>なのではないか・・・」「だから、あの有名な白絵の具(精液のメタファー)の射出が最終判決のように行われるのではないか・・・」「だとしても、顔と尻の反転が重要なのか?顔に7つのピットホール(耳も含めて)があって、直腸と通じているということが重要なのか?」「要するに、<ウィトルウィウスデカルトコルビュジエ>へと発展した身体モジュールへの攻撃なのか?」・・・ベーコンの絵には(クラッシュというよりもパンチの)打撃性がある。そして、その一撃が残響/残像をもたらし、ゴースト、いわば亡霊性(画家はエクトプラズムの本も読んでいたとコメントボードに記してあった)があらわれる。





また、「パンチなきゴースト」を捉えているのは、『走る犬のための習作』(1954 ワシントン・ナショナル・ギャラリー)で、この絵がまた素晴らしい。・・・ここにはパンチはない、ゴーストのリアル、リアルのゴーストのみが描かれている。・・・うらぶれた繁華街の舗道のわきに小さなどぶ川があり、その横を犬が走っている。あるかなしかの、犬だ。静謐さではない、饗宴のあとの寂しさでもない。バラッドではない、ブルーズでもない、存在を持たない、名前ももたない・・顔ももたない・・・だが賢く、あざとく、それでいて執拗に生き延びつづける野良犬の奇妙に清潔なゴースト、ベーコンの隠れた名作かもしれない。