■イマゴン、第四アンチノミー 1
オレンジにも見えて、レンコンにも見える。というよりも、これはオレンジを半分に切ったものとレンコンを半分に切ったものを取り合わせたものだ。
・・・だが、ほんとうにそうなのか。イマゴン的な問いはこの疑義とともにある。
この像をパッと見たときに起きる受容は、もっと別の次元にあるのではないだろうか。むろんパッと見たその1秒後には、「オレンジとレンコン・・・」と言語化されるが、時間的にそのやや手前のことである。
パッと見たときは、「感性的に処理される」以前の、たんてきに「感覚」と呼ばれる経験そのものを通過している。(ゆえにあらゆる感性は感覚を通過している、といえる)。
それは「オレンジとレンコンの合成物」というよりも「オレンジでもなく、かつレンコンでもない」何かである。
ゆえに、この像は「オレンジ+レンコン」ではなく、正しくは「オレンジとレンコン」と表記される。
「オレンジとレンコン」は、「オレンジでもなく、かつレンコンでもない」対象であり、同時にそれは「オレンジとレンコン」を使用することなしには、あらわせない対象でもあった。
「オレンジとレンコン」を使用することによって、「オレンジでありながらもオレンジでない対象」そして「レンコンでありながらもレンコンではない対象」をつくりだすことができる。
ありとあらゆる「合成像」と言われるものは誤謬的な表現である。数学の定義上、1+1=2であり、これは「合成」の十分なメタファーになっているが、しかし1+1=2は、必ず1+1=1を通過しているのである。
(上記をとりあえずイマゴン生産上の「オレンジ−レンコン問題」として設定しておく。ちなみにこのオレンジとレンコンの像は2006年に制作した『RED RED RIVER』と同一のものを再撮影した。)