イマゴン、第四アンチノミー 2


■イマゴン、第四アンチノミー 2






オレンジがオレンジである限りにおいて、オレンジは固有の輪郭を持ち、固有の特性を持ちつづける。この色、この形、この香り、etc・・・。百科全書的に規定された概念としてのオレンジは、一方、その系列の自立性を保証するべく「その他」との(つまり、非オレンジたちとの)差異を差異として保存する。個物としてのオレンジがオレンジでありつづける、ということは、このような差異の保存とのかかわりにおいて見出される。たとえば画家のポール・セザンヌはオレンジの隣にリンゴを配置し、「リンゴとオレンジ」を制作した。ゆえに両者は際立った。差異は確保されたのである。あるいは、セザンヌにおいて、リンゴとオレンジの差異が確保されたケース。



セザンヌ 『リンゴとオレンジ』1895年頃)




事物とそのイメージの冗長性。オレンジはオレンジでありつづけ、リンゴはリンゴでありつづけ、レンコンはレンコンでありつづける。個物とそれが持つ特性、個物に付せられた固有名、イメージが十全に一致し、それらは鍵をかけられ、箱に閉じ込められたように、保存される。それではなぜ、個物が個物でありつづけることを可能ならしめる、その存続条件としての差異の保存形式が発生するのだろうか。あるいは差異のイメージの。




オレンジはフルーツというカテゴリー内の個物として悟性的に理解されている。またレンコンは野菜というカテゴリーにおいて悟性的に理解されている。これを延長すると、「店で売られている」「摂食可能性が高い」「栄養素がある」というようにカテゴリーを拡張したり微分化することができる。いうまでもなく、これは近代ヨーロッパが得意とした伝統的な系統樹的整理法だった。ごく現実的には、両者を摂食可能性のカテゴリーに内属し、生産(生産者)と消費(消費者)のサイクルのなかで個物(オレンジ)とそのイメージは流通することになるだろう。いずれにしても続行しているのは、「オレンジはオレンジである」という概念的規定の保存であり、同様に「レンコンはレンコンである」という概念的規定の保存である。それらの同一性(これがレンコンだ!これがオレンジだ!)を互いに矛盾させては両者は成り立たなくなる。






さて、オレンジ−レンコン問題をカントに即して考えてみよう。18世紀の哲学者、エマニュエル・カントは、その著書『クリティーク・オブ・ピュアリーズン』(『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunft 1781)においてアンチノミー(二律背反)を四つあげているが、これは「宇宙の存在」を考察するにあたって必ず出現する「論理的な矛盾」をあらわしているといってよい。(アンチノミー論は、生成論ではなくちょっとSFめいた存在論である、ここに注意)。アンチノミー論には四つの定式があげられており、第一のそれにおいては「時間」と「空間」、第二のそれにおいては「部分」と「全体」、第三のそれにおいては「自由法則」と「自然法則」、第四のそれにおいては「絶対的存在者」と「世界原因」がそれぞれ概念的に使用され、論理展開されている。このページでアンチノミー論の詳細な解説、分析を行うことはできないが、イマゴン的生産にかかわる箇所を随時ピックアップしながら、いささか抽象的になるのを恐れず、ラフスケッチしておきたい。まずは第一アンチノミーを見てみよう。(日本語訳はすべて篠田英雄による)



●正命題   世界は時間的な始まりをもち、また空間にも限界を有する。
●反対命題  世界は時間的な始まりをもたないし、また空間的にも限界を持たない、即ち世界は時間的にも空間的にも無限である。


上記の正命題と反対命題は矛盾しあう。わかりやすいように、ひとまず、<世界>を<オレンジ−レンコン>に書き換えてみる。



●正命題   オレンジとレンコンは時間的な始まりをもち、また空間的にも限界を有する。
●反対命題  オレンジとレンコンは時間的な始まりをもたないし、また空間的にも限界を持たない、即ちオレンジとレンコンは時間的にも空間的にも無限である。


さて、カントによると、上記の「正命題と反対命題は矛盾しあう」のだが、これは、いたってシンプルにパラフレーズすると、「有限と無限は対立する」という(一見)誰しもが納得するだろう簡単明瞭な指摘として捉えなおすことができるだろう。(つづく)







(エマニュエル・カント『純粋理性批判』Kritik der reinen Vernunft の英語版『クリティーク・オブ・ピュアリーズン』1871)





冗長性の原因、またはヨーロッパ的、系統樹的整理・・個体としてのフルーツは継起的にフルーツの同一系列上に配置される。またバケット(籠)というフレーム志向性も系列の確定度合を高めている。