京都にて 2

こと日本料理屋の厨房に限ってかどうかは知らぬが、女がその場所に立つのを禁じる慣習は絶えることがない、それはなぜか、と、かつて調布の友人に問うたところ次のような答えが返ってきた。「女には月経があり、通常保っている味覚が月経によってそのバランスを崩すことになる。だから女は生物学的に調理に向いていない」、一面的な見方であろうが、一理あろう。11ヶ月ぶりに再会した細君とその女友達に改めて問うたところ、的を得たりという顔をしないわけではなかった。ただ、味覚の変化は実感としてはないらしい。
そんな話をしながら、ぼくが昆布だしからとったすきうどんを食らう。(細君はすきうどんではなく、うどんすきだと主張するが、ぼくは断じて、これはすきうどんだと主張した)

日が明けて、伏見の桃山御陵駅で15時に可能涼介と待ち合わせた。やや早めに到着したぼくは、駅から西方に伸びている大手筋商店街をブラついてみたのだが、さしたる感興はなかった。京都市北区から伏見区に11才の時に引っ越し、悪いことはぜんぶ伏見で覚えた。やんちゃっ子が多かったのだ。だが、何も沸いてこない。納屋町から竜馬通りに抜け、それ風の観光客が多くなる。パステルカラーの小さなタイル張りでしつらえた高畠華宵のイラストの少年が湯舟で泳いでいそうな大正ロマン風の銭湯を横目に、黄桜の暖簾をくぐる。適当に呑み、食べ、いろいろと話す。彼と東京で最後に会ったのは新宿のはずれの小料理屋だったろうか、お江戸新参者のぼくがいつも鞄に入れていた地図に彼は十数か所赤鉛筆でマーキングしてくれた。彼は「六本木ヒルズに行け、青山のプラダに行け」とは決して言わない。ただ、六本木ヒルズが一体何を隠しているのかをぼくにこっそりとあの充血気味のギョロ目、(しかもどこを見ているのか判然としない)で教えるのだ。そんな可能ともそつなく別れ、細君たちの建築事務所が内装を手がけた店へと足を向ける。

河原町御池から北上してすぐの通りに面した店。すでに姉は姪っ子たちと中にいた。壁に貼ってあるライクーダーのLPジャケットをぼんやり眺めていると、両親が現れ、つづいて兄いが現れる。その店はもとANAのスチュワーデスだという女性とその旦那が経営しているのだが、美山町の地鶏を使った鳥料理はほんとうに美味かった。ぼくは母の薄味で育ったので、これくらいが丁度いいのだ。二つ上の姉にはすでに三人の子があり、その生活は、ままならぬものがあるらしいが、なんとかやっているらしい。小4の友紀子(ヒロミックスみたいな鋭い目をしている)もプチ・レディーといった風情が手首の動きを中心にした流動的な振る舞いから感じることができる。任天堂のハンディーゲームを戯れにやるも(息を吹きかけたりにも反応するのにはびっくりした)しかし、友紀子と真梨子に強引に外にだされ、散歩するはめになった。向かうところはこうこうと蛍光灯が点るセブンイレブンだ。狭い店内で、持ち上げてぐるぐる回したり、蹴りを入れたり入られたり、適当に遊んでやった。友紀子と真梨子がイチゴ味のリップクリームをせがむので買ってあげたのだが、中上健次の小説の中に「いちご」と書かれた看板の字を見て嘔吐しそうになる場面に触れて書いていた可能涼介のテキスト(今出ている週間読書人に掲載)を即座に思い出す。別れ際、友紀子たちに「お年玉の一万円」を強制的に約束され、姉たちの苦笑の中、別れを告げる。楽しい晩だった。

気がつけば翌日、四条の大丸百貨店の鼻をつんざく化粧品売り場にいた。普段通りすぎるだけの化粧品売り場であーでもない、こーでもないとナガオちゃん(現串間さん)の出産祝いのプレゼントを選ぶ。東あつ子と大城あつみ、そして珠理とともにぼくの感性では計り知れない化粧のミクロロジー、化け物の世界に触れる。どうやら「SKⅡ」というブランドのものがよいらしく、聞くところによると女優の桃井かおりのご用達らしい。ぼくにはよくわからないし、興味もない、ややこしい化粧品を買って、ナガオ邸に向かう。地下鉄国際会館駅から少し歩いてすぐなのだが、部屋には赤ん坊がいるから禁煙だということが皆わかっているので、皆が皆小雨の中タバコを吸いだす(女たちは全員スモーカーだ!)、すると、ナガオちゃんが黒ずくめのカッコウでやってきた。彼女の笑顔は本当にかわいい。タイニースマイルではなく、顔をくしゃっとする。だが、つくりすぎているのでもなく、芯から挨拶しているだけなのだ。一通り挨拶を交わし、ばかでかい家の広い部屋の中、生後3、4ヶ月のナリアキ君に対面する。しかしナリアキ君をずっと見ていると肉が食べたくなってきたのはどうしたことか?・・・時たてば、ふと大城あつみも彼氏ができ、東あつ子も結婚していることに思いめぐらしている。

東あつ子はカラッソという現代イタリア文学者の翻訳本の国内出版に奮闘しているも、中間エージェント(?)の障壁があるらしく、なかなか事がスムースに進まないらしい。出版業界、翻訳業界のことには疎いのでよくわからないが何か手伝えたらとは思う。その晩は東夫妻と河原町蛸薬師で落ち合う。(そのT字路にあった丸善がなくなってしまったのは残念だ)東君は司法試験の類を間近に控えているからか、アッパー気味に話しだす。その後は丸太町川端クラブメトロ、臼井くんのライブへ。エントランスにいたゲイボーイ林君がぼくをおぼえててくれてうれしくなる。「ちょっと太ったんちゃう〜?」「まあお互い様やろ」「ええもん食いすぎてんねな。」「そうかも・・・いやいやそんなことないやろ」・・ライブはとっくに終了していて、やや疲れ気味の臼井君と話をし、ラムバックを一杯。(しかしウィルキンソンのブラウンジンジャーは本当に美味い。ぼくの江戸暮らしでもカルディーコーヒーファームで買い置きしてあるくらいの必需品だ。)

最近の結論でもないが、「自炊はいいに決まってる。」江戸での一人暮らしのおかげで、かぼちゃを炊いたり、さんまを焼いたり熱燗を入れたりをすんなり自然にできるようになってきたぼくは、一体何処に向かっているのだろうか?それはひょっとすると無人島ではないのか?