『京都タワーへの手紙』

imagon2009-04-12

京都タワーへの手紙』を4月25日に上映することになった。



かつて「アサコ」と自ら名乗り、周囲もそう呼んでいたおかまがいた。
アサコとは何を話したかはもう覚えていない。

当時のぼくのバイト先の映画館から京都へ向かう阪急電車の中で
露骨に女装を決め込んでいたアサコを見かけたことがある。
彼/彼女は恥ずかしそうにぽつんと隅に立っていて、ぼくは声をかけた。
アサコは空いているシートに身をうずめるや、ぼくを巻き込んで漫才をやりはじめた。
彼/彼女はとても楽しそうだった。ぼくは少しも楽しくはなかった。

夭折、と言ってもいいだろう。アサコは若くして死んだ。夭折者は他にもいた。
「結婚式の前日に自宅のマンションから身を投げた。」と、
その婚約者Mから聞いたのはもっと後になってからのことである。
Mは京都でサンというバンドをやっていた。20世紀末、ぼくはMに惚れていた。

Mから悪い思い出の品を預かった。アサコが生前ひっそりと自費出版していた写真集だ。
京都タワーへの手紙』にはこの写真集に収められているアサコの一枚の美しいセルフポートレートが刻まれている。
アサコは京都タワーズというバンドをやっていた。タイトルはここから来ている。

ぼくがこの映画を2000年に作っていたこと、そして今になって、東京の片隅で上映できることを幸福に思う。
だが、『京都タワーへの手紙』を上映することは二度とないだろう。


Mは二度目の結婚をした。この小品が新宿で上映されるころ、一人目の子を授かるらしい。


さよならアサコ。