BALL&CHAIN

2005年12月1日 

いたたまれない日だった。「寝違い」をしてしまい、首が痛かったのだ。それがいけなかった。「書けない」ことを前提してしまい、実際書かなかった。どうしようもなく気が滅入ってきて午後三時頃千恵さんを晩飯に誘うも、仕事の企画書づくりで忙しいということだ。明日だったらいいらしい。田中のり子の新しい電話番号を聞き、どのみち仕事に出ているだろうと推測するも、それでも電話し、留守電に軽く挨拶を吹き込んでおく。阿呆だ。それから何をしたか。『死んでもいい』という映画の冒頭のシーンについてぼんやりと何か思い出すことがあって、文に綴っておいた。それから何をしたか。先日、友人にPCのメールアドレスを教えて欲しいと言われたものの、現在電話線を部屋につないでいないぼくは、ホットメールを作ろうと仙川駅前のインターネットカフェに出向き、あれこれ試していたのだが、上手くいかなかった。商店街で軽く夕食をとり、シャンソン歌手の青山マリという人が始めたという「スナックMARI」に靡いてしまう。ここは和子さんという昭和18年生まれの女性がひとりでやっていらっしゃるのだが、彼女の髪型はおかっぱだ。僕の好きな。つい先日まで、北海道に帰郷されていたのだが、弟さんを事故で失くされたらしい。札幌から車で一時間ほどの小さな街で、河川から田圃へと水路を引く工事現場のさなか、突然土砂崩れがあり、三人がみるみるうちに生き埋めになったという。和子さんは、その話を人にいちいちするのが面倒くさく、また説明に正確さを欠くので、北海道新聞の一面に載っていた大きな記事のコピーを用意されている。日が明けようとする頃、和子さんが育子さんの店に行こうかとぼくを誘った。二人で京王線に乗り、調布駅に向かう。育子さんとは和子さんの店で以前会ったことがあり、いろいろと説教されたのを覚えている。調布駅を降りて西へ向かい、踏み切りの前にある黄色い店構えのラーメン屋を北に折れると、「たかの」という看板が立っている。店は広々としていて、まずテーブルに無造作に置かれている巨大な瓜が目に入る。有線から演歌が流れている。カウンターには「こんなに作ってどうすんねん」というくらい、いろいろなお惣菜がお皿に盛って並べてある。育子さんは明るいブルーのセーターに黒いエプロン。エプロンは肩紐が片方にしかない斜めにかけるタイプのもので、ぼくが「ブラジャーの肩紐がずり落ちてますよ」と戯れに冗談を言うと、育子さんは、「巨乳好きにはたまらんじゃろ」と間髪入れず仰り、ガラガラと笑われた。三杯ほど煽り、しばし岡部さんという人と国木田独歩の『武蔵野』に舌を巻き、ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」は名曲だと主張しあった。ついに夜風にあたりたくなったので、中座した。歩いて帰れる距離だと思い、寒空の中、歩いて帰った。木枯らしがふぶいていた。午前2時、まだ首が痛い。



2005年12月2日

すべてうまくいった。うまくいったので、夜の1時、マダムリンに行って、レモンビールときゅうりの漬物と回鍋肉定食を食った。起きたのが2時、書きはじめたのは5時を回っていた。たしか国木田独歩の『武蔵野』を読んで、うつらうつらしてから書きはじめたのだと思う。食べに出るときは鞄に必ず本を入れていく。いちいち選ぶのではなく、部屋に転がっているものを。鹿島田真希の『六〇〇〇度の愛』を断片的に読む。断片的な読後感を記しておく。皮膚感覚、と言っては余りにも通俗的に響くかもしれないが、人間の肉の物質性をそれ自体において描くことが回避されているように思えた。皮膚は感覚と直結しているが、肉は感覚の前提としてあるものだ。肉の回避によってかろうじて描かれる肉との距離、それが抽象化され、「体」と呼ばれるにあたっての違和があった。著者にとって失礼かもしれないが、多和田葉子と比べてしまった。多和田葉子の目癖、手癖でもあろう、ヴォリュームとしての肉、表面としての肌理、その内部を貫通している骨、骨の形而下にある不可知なる想念に深入れすることによって初めて顕現する「物の怪としての肉」。そのミクロな世界を通過しないからこそ、「肉」は「体」と短絡される、つまり肉に対して抽象物を紛れ込ませることによって濁とした「体」という観念に変換させる「容易さ」があるということだ。肉への拘泥を徹底することで、もっと見えてくるものがあったのではないか。「神は兄に勇気を、女に臆病を振り分けた」という一文が印象的だった。文章は事のほか上手い。



2005年12月3日 

シンプルなパスタ。ガーリックの粉をふりかける。大根を細かく切ったが食べなかった。シナリオはだいたいできあがってきた。思い残すことはない、これが最後だというくらいのものができあがればいい。残り10パーセントを残したあたりで、読み返し、手直しをする。昨日読んだ『六〇〇〇度の愛』が頭に残っている。だが、そんなことはさしたる問題ではない。だいたい手直ししたところで風呂に入る。今日は風呂で煙草を吸わなかった。リンスがきれっぱなしだ。少し気にかかる。昨日借りてきた「さすらいの二人」を早送りしながら見る。ジャック・ニコルソン。黒人が射殺される。ニューズフィルム。マイルス、ラウンド・アバウト・ミッドナイト。サティ、おおサティ。退屈で死にそうだよ。



2005年12月4日

かまやつひろしキンクスのトリビュートアルバムに「セット・ミー・フリー」を吹き込んだ頃、ぼくはラーメン屋でアルバイトをしていた。そのラーメン屋にはかまやつひろしのサインが貼られていたのでよく覚えている。当時27かそのくらいだった。仕事が終わったあと、夜な夜な呑みに行った。ピンク・フロイドという小さなバーが西木屋町にあった。タッシンという男がバーテンをしていた。タッシンはよくブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」をかけていた。極度の熱帯、アフリカ内部での少数民族の祭祀のような低音のドラムが響く。つづいてピッコロのような笛の音。スピーカーはカウンターの下部、左右二箇所に振り分けられていた。低音の波動が下半身にあたるのが分かる。ジーパンの素地から太ももの肌の間にできあがるわずかな空気を伝って響きを伝える。「コムアララディオオ」とブリジットが歌っている。たしか間章の書物でも取り上げられていたそのアルバム、タッシンのお気に入りだったのだろうか。カウンターの棚にはキンクスの「ヴィレッジ・グリーン」が立っていた。タッシンの機嫌のいい時にしかかけない「ヴィレッジ・グリーン」。そんなことを寝ぼけ頭によぎらせながら、もう朝だな、起きるんだな、と繭につつまれた蚕のような状態で重い瞼を押しやった。雨が降ってるんじゃないか、雨か、久しぶりだな、と体を起こした。ポータブルフォンを手にとりAUの今日の占いを見てみる。「思い切って買い物をしましょう」雨の日に買い物、それに今日は日曜日だ。鏡を見ると髪がぼさぼさ。顔が浮腫んでいる。ちょうど、昨晩、「明日はPCデポに行ってプロバイダの加入手続きをしよう」と思っていたところだった。ぼくは雨が好きだ。厳密に言うと雨の日に出かけるのが。雨の日に外に出たいという心性を誰かと話しあって、理解しあえたらいい、なぜって、そんな話をしたことがないから。余談だが、ビートルズの曲で一番好きなのは?と聞かれると、レイン、と答えるだろう、たしか1966年の曲だ。ジュリからもらった木の柄がついた黒い刺繍のあしらえてあるお洒落な紳士傘はどこかに失くしてしまった。申し訳ない。今はビニール傘しかない。もっといい傘があればいいのに、と思いながら、ビニール傘を持って、出かける。今日は朝食を作れるほどの食材がなかった。だからさっさと部屋を出た。駅前のラーメン屋で軽く味噌ラーメンを食べる。ここのラーメン屋の店員は態度が悪い。客をよく怒らせている。ぼくは知っている。厚化粧をしたおばさんが来る。おばさんの前に湯気立った器がくる。おばさんは、小さな口で上品に食べている。ガサツな感じがしない。店を出て、PCデポに歩いて向かう。傘たてはなく、ビニールに傘をしまいこまなくてはならない。「この世から傘たてが消えようとしている」そんなことを思う。二階に上がり、店員を捕まえてプロバイダに加入したいんだけど、と告げる。じゃあこちらに座ってください、店員は言う。パイプ椅子に座る。手続きを済ませる。デポを出て、カレーを作ろうと、スーパーに食材を買いに行く。カレーは簡単だから、好きだ。自分で作るほうがたいてい上手いものが作れる。粉末になったココナッツミルク入りのグリーンカレーペーストを買う。あと、たけのこ、さやえんどう、人参、たまねぎ、じゃがいも、それに、ささみ、レモン。レモンはジョニーウォーカーをグレープフル−ツジュースで割ったものに入れるためだ。携帯電話が鳴る。0424・・・気になって取る。デポの店員がへまをやらかした。免許証のコピーを取り忘れたと言う。アホな。コピーをしたものをコンビニからファクシミリを使って送る。つつじが丘の駅ビルの中の喫茶店に入る。シャノワールルノワールみたいだ。ワール、と呟く。マリアンヌ・・ルノワール、呟く。コーヒーを飲み、本を読む。290円払う。ありがとうございました。ここの店員は態度がいい。ぼくは知っている。家に帰り、ノートブックを開ける。バイトの書き物をさっさとすませ、シナリオの続きを書く。今日もうまくいった。いい場面が描けた。だが映像化不可能だろう。そうか、コンピュターグラフィックスだったらできるかも。もう晩の11時だ。腹が減ったが、カレーを作る気力がもうない。酒を作り、冷凍庫からウズベギスタン産のひよこ豆ジップロックに小分けにしてあるものをひとつ取り出す。豆をかじり、酒を呑む。聴きたいものはとくになかった。3連式のディスクプレイヤーにセットしたままのサティとマイルスと越路吹雪をエンドレスで流しておいた。雨はやんでいる。もう2時だ。ウズベギスタン、アフガニスタンの北方、ロシアと隣接する国だ。ぼくは、この豆を日本で売って、いつかぼろ儲けしようと思っている。商人だ。そしてその金で映画を撮ろう。ウズベギスタンの、カスピ海を舞台にした「軽蔑」みたいな映画を。主演は福田和也だ。ノモンハンにもロケに行く。ロケ弁には増田屋の天せいろも入れておく。打ち上げの酒はもちろんサザン・カムフォートだ。ウズベギスタンの豆は、つまみに使おう。ウズベギスタンのひよこ豆、ウズベギスタン、明治屋なんかで売っているメキシコ産のもの(またべらぼうな値段がする)とは段違いに美味いのだ。ローストの仕方が違う。ちなみに大使館は目黒にある。



12月5日

インターネット、という単語には耐え難い凡庸さを感じる。、カフェという単語にも。
だが、「インターネット・カフェ」となると、やや事情が違ってくる。
中間的な場所だ。ふわふわしている。静かに、カタカタとキーボードを叩く。遠くでサラ・ヴォーンが歌っている。うっとりする声だ。・・・だけど、海沿いの高層ビルの最上階、42階のインターネット・カフェがいいな、そして飛行機雲を見ながら、詩を書くんだ。詩はあっという間に出来上がり、レジスターのそばで退屈そうにしている年下の男にプリントアウトしてもらう。「屋上には行けるのですか?」ぼくは聞く。「ええ、だいじょうぶですよ。今、鍵をお貸ししますから。」ぼくは階段を上がり、重い扉を開ける。目の前には海が広がっている。そして「詩」を紙飛行機にしてビルの屋上から飛ばす。「詩」はあっという間に視界から消えさり、僕はコートのポケットからシガレットケースを開ける。あいつにもらった銀色にぴかぴか光るシガレットケース、片面に8本、片面に8本、計16本のシガレットが並んでいる。コーラスラインの女の脚のように、整然と。バーミリオンか、オペラレッドのビックでシガレットに火をつける、タバコではなく、シガレットに。そして、灰はみるみるうちに海風にさらわれていった。ポータブルのアッシュトレイ、これもあいつにもらったものだ。アッシュ、と呟く。親と絶縁した逃亡者をアパートの部屋でかくまっていた、生成りのハンチングを被った兄貴を思い出す。ハンチングの兄貴は、口がゆるい、とっても、とってもゆるいから、よだれを垂らしながらしゃべる。その肉体を最高度に弄んでいるような、人をなめきったしゃべり方だ。

ドストエフスキーの「永遠の夫」は読んだかい、 やあ  
君のファスター・プッシー・キャットは相変わらずキル・キルかい、 やあ
そんな感じだ。
ベイベーとか、イッツオーライとか。

鍵を閉め、階段を降りる。マネが生きていたらきっと「インターネット・カフェ」を描いていただろう、ゾラは「居酒屋」を「インターネット・カフェ」にリメイクするだろう、そんな奇想をめぐらせては、ぼくはインターネット・カフェを出て、「自然主義」を考えぬくだろう。