こないだギタリストの川口君とROADSHOWの「ROAD」について話していた。
「ROAD」とはなにか?
映画は最初パリのカフェで上映されて、当時はまだ(今日言うところの)映画館はなかった。
日本ではカフェではなく芝居小屋で上映された。映画と同時に演劇が上演されていたわけではない。代わりに演芸や歌が上映の合間にさしはさまれていたという。
演芸と演劇のちがいはなんとなくわかっているような気がするが、厳密にはわかっていない。わかっているのは「上映+歌・音楽」がそこにはあったことだ。
映画専門の小屋ができたのは、浅草電気館からだそうで、1903年のこと。ここではすでに映画のみがかけられて、今日の映画館の原型になっていたと思う。
それまでは、つまり1895年のリュミエールのカフェ上映から1903年の18年間は、おそらく映画はその映写機材とプリントを持ち運びながら、移動に移動を重ねながら、さまざまな場所で映写されていた。しかも音楽演奏をともなった歌や演芸とともに。(ロックバンドの演奏ではもちろんジェリー・ガルシア~the grateful dead を思い出す)。
【ROAD SHOW】の原型というのは【道=road】を移動しながら【show】していたことにはちがいない。このネーミングの起源はわからないが、映画館ができる以前、プリントと映写機材を持ち運んで壁に映して上映していた時代にこそふさわしいと思う。
このネットフリックスやアマゾンプライムビデオで映画を見る時代には、すごく原始的でフィジカルにすぎる行為かもしれないが、作り手側上映する側にすればたいへんワクワクする行為だと思う。
映画をつくり、映画館で上映するという一方向性はどちらかといえば単純である。それが悪いと言っているのではない。映画館に依存しない映画上映の方法もまた多様を極めていると思うのだ。高精細のプロジェクターがどんどん小型化され、低価格になってきている。「あちこち持ち運んでくれ」と言わんばかりに。
映画上映に演芸や歌という「ライブ」をくっつけていた時代があった、ということを含めての映画史だと思う。はたしてどれだけの資料があるのか、わからないがそれなりに検証していきたい。
(↓ウィキペディアより 浅草電気館)