安藤を追悼する


■安藤を追悼する



大学にはいったものの、新設の瀬田キャンバスだったので、まったくもって閑散としている。まっさらな・・・歴史というやつを欠いたのっぺらぼうな空間だった。そこでサークルをつくり、活動できるようにと映像研究会をつくった。告知の張り紙を掲示板に貼って、・・・たった一枚貼るのにもわざわざ事務所まで行って許可をもらいハンコを押してもらわねばならなかった・・・こういう事務上の手続きで無意味にかったるいことがたくさんあった。・・・電話がくるのを待っていた。



入学時、なぜか映画館でバイトをしようとおもいたち、朝日シネマというところに映写技師の空きがあり、週2回いくことになった。特別な映画好きでもなかったが、見ているうちにだんだんとこだわるようになってきた。なので、サークルを作ったのはそのあとだったように思える。



最初の部員は10人くらいだったように思うが、他のサークルとかけもちしている人はたくさんいた。男女半々くらいか。そのなかに安藤君がいた。・・・いや、安藤君なんてのは、他人行儀だな・・・ともかくがっしりしていて、くせっ毛なのか、パーマをいれていたのか、判然としないがそういう安藤がいた。彼がなぜ、映像研究会にはいったのか、最後までわからなかったが、そこそこ仲が良かったのだろう。




安藤が死んだ ということをついさきほど元部員のひとりからのメールで知った。2年ほど前のことで、突然死だったらしい。メンバーの中野と菊池が安藤家に行って、当時サークルでやっていたミニコミ誌に寄せた彼の文章のコピーを家族の方に渡したということだ。最後に安藤と会ったのは中野の結婚式だったろうか。それははっきりと思い出せない。



彼とは大学の図書館の喫煙ルームのようなところで、よくバカ話をし、だべっていた。彼の姿がよみがえる。ジーンズのポケットに両手をつっこんでいた。ゲラゲラと高い声をだしてよく笑う男だった。ようするにおれと安藤はバカ話しかしていなかったように思える。



それでも住んでいた部屋に部員をあつめて、映画を3本立てで集中的に見る会、みたいなこともやっていた。そこでホドロフスキー監督の『サンタ・サングレ』を見たのをぼんやりおぼえている。



われわれは社会福祉学科だったので、精神障害や精神病院には関心があったのだろうか。
(『サンタ・サングレ』はそういうシーンからはじまる映画だ)
そこまで思慮にいれていたのか、いなかったのか、それは思い出せない。



ともかく彼は天国へ行ったのだ。42歳という若さで。無念、合掌。