■リンダ逆上、原因究明のためのパズル/パルス 3
電子神社には電子神主がいて、電子巫女がいた。彼、そして彼女らはまったくバラバラに動いていて、まったくバラバラな印象を僕に与えた。具体的には何をしているのか?それは見ただけではわからなかった。およそ、「神」というコンセプトが21世紀にも生き長らえているのなら、当の「神」も電子化されているという結論をいかにして諸般のイデオロギーに組込むかというある種のサブライメーション、崇高化こそが問題となっているはずだ。・・・しかし、こんなにバラバラでいいものだろうか。・・・僕は古びた木製のベンチに腰掛けて、さっき見たロアン・ロアンの新作『リンダ逆上、原因究明のためのパズル/パルス』の感想をテレパスにアップロードするために、血液循環をD-3タイプに設定し、パッドにじっと指をあてていた。そこで目をつむっていると、テレパスからサスピシャス信号が送られてきた。「今は映画の感想をテレするべきではない/言語ソフトを使え」という信号だった。「そのとおりだ」僕は頷いた。そして、思うに任せて、さまざまな想念を楽しみながら、テレパスのフリーディグに入力しておいた。そうだそうだ、仮に映画館を出たあと、ルゥとすぐにラブホテルに行っていたとしたら、今ごろ射精を3回済ませて、オロナミンCCDを2本ほど飲み干し、そして目もあてられないほど眩しい金色の放心状態に陥っているところだ。どうして、オレは電子神社なんかにいるのだろうか。それは、このシルバー・チバ・シティの一画でベビー・ルゥとのセックスにまつわる妄想や具体的なアイデアを充分すぎるほどフリーディグに入力しておいて、あとで彼女に見せて喜ばせるためだ。フリーディグよ、地球の裏側まで掘りつづけろ。リアルな精液がメキシコで流出するように。
*
ところでJRの品川駅前にパチンコパーラー「ヨシ・エンタープライズ品川店」が出来たのはいつのことだったろうか。「ヨシ」があるのは、高輪口、つまり「高輪プリンスホテル」がある方向で、このあたりには成城石井というスーパーマーケットや、KEIKYUの改札がある。駅正面の大通りをまたいで見えるのは、文化財に指定してもいいくらい洒脱な建物「京品ホテル」があったのだが、たしか2009年か2010年には最先端の電子技術を駆使したパチンコパーラーに様変わりしていた。これが略称「ヨシ」こと、「ヨシ・エンタープライズ品川店」だ。ちなみに高輪口ではない逆の方を出て、ほんの10分歩くと東京で一番大きな屠殺場があり、毎日多くの食用動物が屠られていた。
「ヨシ・エンタープライズ品川店」のエントランスサイン、つまり、最新型LEDの電飾サインには目を見張るべきものがあった。それに目をつけたのが国内の映画会社の広報部だった。このハイテクノロジカルな電飾をどうにかして映画字幕システムに導入したいと、広報部は考えた。先鞭をつけたのは東宝と松竹が合併した松宝で、社員がわずか15人ほどの零細会社に凋落していたが、日本映画の未来を模索するべくさまざまな試行をしていた。そして松宝は娯楽色を打ち出す東宝と人情色を打ち出す松竹がハーフで手を組んだのだから、必然的に「娯楽人情物」をメイン・プログラムとして打ち出し、マス・カラーを固めていった。
松宝と、かの<3・11/F原発>からスピンオフされた外資系の会社がタッグを組んでSISの開発に乗り出した。SISの字幕システムはこのパチンコパーラーの電飾サインとまったく同じ業務機械であり、羽田空港の近くにある精密機械のメーカーが製作していた。基本サイズは縦1メートル、横20メートルの帯状のもので、300万もの最新型LEDがはめ込まれている。字幕はスクリーンの上下に取り付けられ、作品によっては左右、さらに上下左右に取り付けられた。
面白いのは、パチンコパーラーの電飾演出が全てコンピュータ制御であるように、映画字幕の方もコンピュータ技術者とクライアントの合意のもとでデザインされるということだ。色があり、模様があり、文字の動きがあり、フォント・タイプのヴァリエーションがあり、その上、映像さえも字幕の背景につけることができた。「感情同期」という汎用的にマニュアライズされたフォーマットで字幕演出をする監督が多かったが、これは俳優の感情表現演技の価値をどんどんと貶めていった。「怒りの字幕が赤で、冷静表現の字幕が青で、主演女優の泣きが紫で」となると、俳優は、演技をする必要があまりなくなってきたのだ。例えば、香港の新進気鋭の監督シェ・マイドンが撮ったフィルム・ノワールの秀作、『七味は必ず三回ふれ』の字幕などはSIS字幕が説明の度を超えていて押し付けがましいというよりも、字幕背景の映像が文字を浸食するという手法が導入されていたため、その上、スクリーン映像よりSISの方が輝度充実していためか、結果的にスクリーンを見ている観客よりも、SISをずっと見ていた観客がほとんどだった。
SISシステムは、要するに「映画をテレビに近づけた、さらに近づけた」だけだったのかもしれない。しかし、実に奇妙なことに、テレビのテロップ、雑然としていて、カラフルで、時にノイジーなテロップを「映画のスーパーとして」巨大化すると、やけに面白く、そして斬新だ、と思う観客が殆どだった。ところでSIS字幕の上映と通常字幕の上映では入場料金がちがってくる。SIS版での上映は電力消費も通常版の2倍はかかるので、料金も2倍にはねあがった。入場システムはすべて完全予約制で、SISでの上映は制作会社や監督の事務所からのオファーに則っていた。
さて、20世紀半ばより、パチンコパーラーとカラオケルームと映画館はある意味、経済的に手を組んでいた、ということが21世紀半ばになってようやく露呈されはじめた、と言わねばなるまい。「興行」という概念は古くは尾上菊之介などをはじめとする歌舞伎の上演形態から適用されていたらしいが、興行の「興」・・・「興に乗ってきた」とか「興醒め」とか言うその「興」のニュアンスこそが、20世紀の興行概念を実体化していたのだ。そういう意味で歌舞伎と日本映画の連続性を確認しておいてもいいはずだが、より重要なのは、20世紀末までは、映画館興行は、上位クラスにある「興行組合」が牛耳っていた、ということだ。それゆえに、興行組合に入っていない単館ミニシアターなどは、映画館としては見なされない時代もあった。だが21世紀中頃になって、松宝はさまざまなミニシアターやレストランシネマ、シネクラブ、ドライヴ・イン・シアターや、ハイキング・イン・シアター、そしてスイミング・イン・シアター、サウナ・イン・シアターなども射程に入れて、「SISは21世紀シネマを爆発させる」という(ちょっといまいちな)スローガンとともに、邁進していた。
数あるパンチコパーラーの中でも、とくにこの「ヨシ・エンタープライズ品川店」はもうひとつの映画テクノロジーに寄与していた。いつのまにか、多分3年前くらいから「ヨシ」の店内はパチフィルとシネフィルで溢れかえっていたのだ。キャッチ・キャラクターであった「必殺仕事人」や「エヴァ」、「あしたのジョー」などのドメスティック・リサイクル時代を終え、パチンコパーラーはいつのまにか強力なシネマ・リサイクルの時代を迎えていたのだ。SIS導入当時のキャッチ・キャラは、ボギーこと、ハンフリー・ボガードを筆頭に、ジャン・ギャバン、オーソン・ウェルズなどのクラッシックな男優がより多く使用され、シルバーエイジのミドルリッチを顧客として獲得することができた。日本の男優ではなぜか田宮二郎と川口浩が人気があり、さらに不思議な現象だが、三國連太郎を起用すると客が遠ざかった。女優は察しの通り、オードリー・ヘプバーンの起用からはじまったが、すぐにTIFFANYと人材派遣会社のPASONAからクレームが来て、取りやめとなった。すっかり人気のなくなったレディーガガガが、日本のパチンコパーラーのキッチュネスに目をつけ、キャラ申し出をしてきたことがあったらしい。巻き返しを計ろうとの作戦だったが、「彼女はシネマと何の関係もない」という理由で却下されたということだ。
そして驚くべきことなのか、自然な流れなのか、アメリカにあるYOU TUBE本社がパーラーの各台に取り付けてある端末モニタに目をつけ、TUBE上で流れるべき映像コンテンツをパチンコパーラーのモニタに転送し、動画フローの多様化を試みて商売に繋げることを考案した。そこで飛びついたのが、世界中のインディペンデント映画作家、フィルムメーカーだった。この時期、「インディペンデント作家」という概念は、パチンコパーラーとカラオケルーム、そしてナディッフを中心とする一部のアートショップが囲い込んでいて、主流の映画業界からはまったく見放されていた。「既存のシステムにのっかって、商業映画館で上映する」という欲望を抑圧/廃棄した新進のインディペンデントたちは、パチンコパーラーに日参し、どの台で上映するかを思案した。たしか、ロアン・ロアンもベトナムにいたころに、資金調達、いわば、プロデューサーシステムをパチンコパーラーの課金システムと結びつけようとしたことがあった。ロアン・ロアンの当時の記事より抜粋しておこう。1999年の香港の電影マグの翻訳版からだ。・・・「僕が思うにだナ、もとより、キャッチ・キャラクターの肖像権、著作権の使用に関しては大手の映画会社、主に大映が仲介していたのだかラ、パチンコ・パーラーのシネマ化は自然な流れなのだと思うヨ。もちろんニホンにおいてネ。そして、さらに思うにだナ、パチコン、あっパチコンというのはパチンココンシューマーのことだネ、そうそうパチコンが金銭投資する、そしてその純利、パーラー側の取り分だナ、その一部分を一定の決め事、ルールにしたがって制作資金にあてル、というシステムを構築してだナ、インディペンデントの作家に還元してだナ、さらにその作品をパーラー内でヒットさせるという無限循環システムを構築すればだナ、とりあえず制作のサスティナビリティは得られると思うヨ。」
時間はもう20時を過ぎていた。ベビー・ルゥから連絡が入っているかもしれない、と思い、テレパスをONした。ルゥからのテレがあった。僕はすぐに読まずに、帰りの京葉線の中で読むことにした。もう電子神主も電子巫女も電子ホームへと帰宅してしまったようだ。僕は血液循環をD-3からA-2に切り替えて、ベンチから立ち上がった。(2012−1−20)
■■■■
■■■■