■ リンダ逆上、原因究明のためのパズル/パルス 4
日付けが変わった頃、僕はリカールの水割りにガムシロップを適量注いだものを3杯呑み、ベッドに横になった。そしてテーブルの上にあるゴーダチーズとスモークサーモンの和え物が残り少なくなってきたことを確認し、そして煙草に火をつけた。ベビー・ルゥの帰りを待っていたが、深夜2時を回っても戻らなかったうえに、締め切りが近づいていたことを急に思い出して、いそいそし始めた。ルゥが月に1度か2度顔を出しているホワイトロリータ集会に関するレポートを国立性科学研究所に提出しなければならないのだ。ここで、ホワイトロリータ集会について、若干説明しておこう。ホワイトロリータ、この名称は1965年、ブルボンという製菓メーカーから全国規模で販売され、今もなお現存している駄菓子であるが、これとは関係ない。1955年のロシアの作家、ウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ』と、色名である「ホワイト」をくっつけたものだ。ここで、ロリータ、と聞いてピンと来る人は多いだろう。言うまでもなく成年男性が幼年少女に持つ性愛癖の総称で、また、倒錯性を伴った性愛の総称を指す。その感情の多くはミソジニー、いわば成年女性に対する嫌悪感とカップルされていて、近年の精神医学界では、ロリータ・コンプレックスのことをミソジニカル・コンプレックスと言い換える動きも出ている。ホワイトロリータ集会とは全国の外科医の好事家がパトロンとなって組織している会員制の地下クラブで、代官山の一画にひっそりと本部を構えていた。
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ルゥと僕は言語レベルでの会話はもちろん、テレパスがもたらした数々の相互テレパシー機能によってコミュニケートできた。テレパスには医学生時代のジグムント・フロイトの理論の要である「失語論」を応用した感情翻訳機能が内蔵してあり、サブ・ヴォーカル・レコーディングの二次機能として、感情翻訳を自動的に、かつ正確に言語に置き換えることを行ってくれた。ところで、ルゥをテレパス・コミュニケーションの機能によってホワイトロリータ集会へ送り込んだのはこの僕だ。いくつか理由がある。まず、ルゥの容貌はまさしく少女であり、まだ第二次性徴過程にあったこと。次にルゥの精神年齢は34歳で、かなりの知的レベルに達していたことだった。僕は国立性科学研究所で22世紀の性欲望体系の理論的基軸を仮説するために、さまざまな先行投資や身体実験を飽きずに繰り返していて、とても充実した日々を送っていた。ルゥは僕のそういったアティトュードに賛嘆の念を隠さず、そして彼女の遺産の数%を僕に提供してくれた。僕はルゥの保護者でもあり、恋人でもあり、婚約者でもあった。地下クラブに集う外科医のロリコン・スノッブたちは、自らのことを知的共同体だと思いこんでいて、優秀なロリータを囲い込むための戦略を日々練っていたことは彼女の口から知らされていたが、ルゥの反射神経や知的言語、身振りの一切合切はそういった下衆どもを一蹴するに充分、強力なものだった。・・・どうして僕とルゥが出会ったか、そしてなぜルゥをそんな秘密結社めいた組織に送り込もうとしたのか、だって?、しかし、ここで僕とルゥの馴れ初めを話しても仕方あるまい。
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僕はベッドに寝そべって、瞑想を楽しんでいた。今日見た映画『リンダ逆上、原因究明のためのパズル/パルス』のあのシーンが、視床下部に焼き付いたままだった。そして帰りの京葉線の車両アナウンスが早過ぎて、よく聴き取れないということも強い記憶として残っていた。そこで短期記憶を長期化するために、テレパスにM信号を送り、Mを調達しようとした。M信号のヴォキャブラリーはたくさんあった。主に、9、5拍の変則拍子のワルツと8拍のマーチは充実していた。Mは「MUSIQUE」の頭文字でこのM信号をテレパスに送ると、自動的に音楽が配信されてくる。KWWという特殊波でオヴラートされたそれらの音源は「短期記憶を長期記憶化するのに役立つ」と言われていた。9億5000万曲ほどのストックがMステーション(人はそれをMステと呼んだ)に備蓄されていて、そのうちの3億は、作曲者不明のものだった。僕は、少々の懐古趣味も手伝ってジョー・ヘンダーソンの「フェリシダージ」と、ジェファーソン・エアプレインの「君はUFOを見たことがあるかい?」を、M信号に変換した上でテレしておいた。この2曲を聴取すれば、記憶は充分に長期化されるだろう。
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「地球はなぜひとつしかないのかしら?」ルゥは、その愛らしい瞳をゆっくと閉じた。「それはね、地球がひとつしか、まだ、見つからないからだよ。」・・・「ポップコーンは、なぜ袋の中にたくさん入っているのかしら?」・・・「それはね、北海道でたっくさんトウモロコシが採れるからだよ。」・・・・・・・・・・・
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、・・・テレパスのアラームが鳴り、腕を延ばして止めた。僕は「地球はひとつしかない」というテーゼを、もしかしたら「地球は二つあるかもしれない」というテーゼにシフトできるのではないかという問題提起を目が醒めたとたんに頭に過らせ、そして勃起していたペニスを視触覚確認したあと、窓をガラっと開け、「ペニスがもしパニスだったらどうすんだよ!」と叫び、そして爆笑した。・・・実際、僕は睡眠中、ルゥにこう言ったではないか。「地球はまだひとつしか見つかっていない。」と。
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オートモーニングが始動し、「朝のアルゴリズムは33」という決定数値を出した。アルゴリズム1に対して15円課金されるので、単純計算で495円分の朝支度を代行してくれる。アメリカのケロッグ社が開発したオートモーニングという朝支度代行システムは人気があった。なぜなら、誰でも、朝起きて、外出するまでのアルゴリズムはだいたい毎日決まっていることが多いからだ。僕の平均で28から34で、朝ゆっくりしている人、もしくは朝風呂に入る人はだいたい40まで数値が昇った。
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モーニングBタイプを食べながら、僕はやっかいなことを考えていた。もしかしたらルゥが外科医団に拉致されたかもしれない・・・睡眠中にテレパスではコミュニできたものの、朝になっても帰らないないなんて・・・。
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8時32分、21日ぶりにテキストデータがプリントアウトされた。この文字群は僕が睡眠中に、(ルゥとテレパスでコミュしていたと同時に)「夢退治」というソフトを使って視床下部から体内伝送される無意識をディジタルデータ化することに成功できた結果である。「夢退治」とは、デパートに売っていた安眠枕のオマケについていたもので、パソコンソフトと銘打っているが、いわゆるサロンパス風のマットの内部に電極が埋められていて、それをおでこに貼付けるというどちらかといえばロウ・テックなものだ。そして中継ルータを使い、電極をコンピュータのBBCというアプリケーションと同期させて、夢の内部からではなく、主に視床下部と前頭葉の連結部位から脳情報を読み取り、無意識の言語をシュミレートしてくれるという代物である。「夢退治」は特に不安神経症の専業主婦に人気があるらしかったが、特に芸術家、それも創作にいきづまった芸術家に人気があった。20世紀初期の美術関連の文献を読んでみると、夢、及び夢日記と芸術創作は、切り離せなかったことが<これでもか>とわかるが、この時代にあっても芸術をこよなく愛しているものにとっては「夢」という媒質は抜きさしならない、のっぴきならない常にフレッシュで畏れ多い無定形生物なのだろう。これくらいは芸術素人の僕でもわかる。・・・さて、プリントされたテキストはA6サイズ2枚のコピイ用紙にわたるものだった。以下、抜粋しておく。
宇宙探検や宇宙旅行は、国土交通省と通産省と宇宙開発事業団JAXAが手を組み、大手の航空会社ANAやJALなどにその危険度の高いビジネスの実現を押し付けていた。そして「中産階級の民間人でも手軽に参加できるものとすべきだ。」という国家側の強い要望は、なかなか実現できないものだと思われた。業界筋によると、エアポケットの手前で、凹型ジェット機から中継機である凸型ロケットへと、どうやって人員輸送するかが最大の課題になってるらしい。・・・次に重要なことは、言うまでもなく、地球環境の劣悪化が、ますますエスカレートしていることだ。主に気候の変動は純粋に自然なものではなく、人工的にコントロールした結果である、という見方がここ数年一気に強まり、「宇宙の気空の流れ」を「複数の偶然を孕んだ複数の流れ」と見なすのではなく、「単一の流体」としてみなすことが流行していた。この次元では国家エージェントは「一切の偶然をどう扱うか」、そして「無限という観念をどう扱うか」という20世紀的な問題をまだまだひきづっていた。宇宙旅行が気空の流れを乱す、その乱流が経済効果にもたらす危惧をもっとも明確に示したのは、かの「NASA」だった。そして21世紀後半の超高度管理社会において、もっとも重要視されていたのは「空気の絶対的管理」であり、これは誰の目にも明々白々な事実だった。(2012−1−21)
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