★ リンダ逆上 5









■ リンダ逆上、原因究明のためのパズル/パルス 5




記憶銀行社から連絡があったのは、昼過ぎだった。僕は午前中に仕事を済ませ、昼食に出前をとった。「さえずり機械」というパウル・クレーの名画をモチーフにした冷奴のセットと、「チャーメン」という小サイズのチャーハンとラーメンが一段づつタワー状に4つセットされているものだ。これらは近所にある前衛料理店「フレミングの法則」の特別ランチメニューであり、この2つを同時に注文すると食後に占い師がやってきて、その日の午後を占ってくれた。食後、「夢退治」によってプリントアウトされた睡眠中の無意識文面を読みなおすと、どうやら僕はルゥのことなど少しも気にしていないという推測がなりたった。僕に関心があるのは、遠心力とそれがもたらす乱流効果をいかにして宇宙空間に適用するか、そしてクラフト・エヴィングの著作を踏まえた22世紀の性欲望体系の中心理論だった。そして煙草に火をつけて、紫煙のゆらめきをじっと見つめ、いつものように乱流の様子をうかがった。・・・キスミィデッドリ、ファック・ミィ・デッドリ・・・遠くからラジオの声が聞こえてきた。そして音楽・・ゆるやかなピアノ・・・僕の耳が確かならば、それは1948年のティロニアス・モンク、「エヴィデンス」だ。




電話はクリッコスからだった。彼は記憶銀行社のシンクタンク、いわば頭脳集団のボスであるアスキアーサの直属の部下である。「やあ、クリッコス、久しぶりだね、どうしたんだい?」「あのさ、今、記憶銀行社営業部内でけっこうなもめ事があってね」「ふんふん」「例のVマテリアルのことなんだが・・・」「ああ、あれね。僕はまあどちらかと言えば、賛成だよ、ってこないだバルで飲んだ時に言ってたやつだね」「そうそう」「Vマテリアルの収集方法に問題があるのかい?」「そうなんだ。消防署ともめごとがあってね。」「消防署?どうしてなんだい?」




ここでVマテリアルについて説明しておこう。Vとは良く知られた英単語「VISUAL」の頭文字である。マテリアルは物質、素材、資料くらいの意味だ。記憶銀行社はまさしくこの世に数多ある「ヴィジュアル・データ」を収集していた。その収集方法はさまざまであるが、特に問題になっていたのはコドクシした身よりのない老人の遺品に含まれているものだった。一般の家庭なら死亡者の私有財産は遺書にしたがって配分されるのだが、コドクシシャは身よりのない者がほとんどなので、それをどうするべきなのか、という議論が水面下で交わされていた。そして、20世紀末からコドクシという概念が使われはじめ、それは「悲惨な死にざまだ」という見解がほとんどだったが、現在、コドクシには一定の理念、価値づけがなされていた。彼らの遺品をきっかけに時効寸前の怪事件の容疑者が割り出され、即刻逮捕につながったり、そういった国家的にも民間的にも重要なキーマテリアルになりうる一面を無視できないものとして、諸メディアが大きく取り上げたことに起因していた。



近年、コドクシシャの遺品処理にはさまざまな方法が取られていたが、原則的には消防局員が事の始末にあたっていた。彼らが遺品を持ち帰って破棄することが法律的に廃止された今、民間の業者が遺品を商品価値のあるものとして買収し、死亡者が住むエリアの該当役所にその金を寄付することになっていた。VマテリアルはLマテリアル、つまり言語のマテリアルよりも遥かに価値があった。ただ、先進国と呼ばれる国の内部にも、スラムやゲットーが増加し、その中でコドクシした住民の遺品はやはり、ほとんど無価値なものだった。だが、記憶銀行社は全階級の遺品収集、とくにVマテリアルに関しては手を抜かなかった。




記憶銀行社の仕事の完全無欠ぶり、その背景には、社がスイスに本部を持つ国連と連携しながらVマテリアルの収集にあたっていた、その強力なオーガナイゼーション、組織体制が上げられる。とはいえ、個々の所得から換算した階級落差が2010年の100倍に膨れあがり、生活保護受給者が2020年の30倍にもエスカレートしたいま、そして、かつて「パックス・ジャポニカ」と言われた時代から旧先進国のなかでも「プアネーション」として他諸国から烙印を押されているいま、記憶銀行社の経営体制もかの国連と連携しているとはいえ世界的な評価を得られるほどには至っていなかった。




国連は存命しているノーベル賞受賞者諸氏と連帯して「グローバル・メモリ」を世界規模で推進していた。ベトナムの、ホ・シティ出身の映画監督ロアン・ロアンは今年143歳になろうとしていたが、88歳当時の彼がノーベル映画賞のはじめての受賞者だった。言うまでもなくロアン・ロアンも、この「グローバル・メモリ」の運動に参加していた。日本では21世紀初頭より、国家的規模で映像アーカイヴ、いわばVマテリアルの本格的な収集が始まり、原則的にフィルムセンターと国会図書館の映像資料室、そしてNHKが中心となって指揮をとった。だが、記憶銀行社はそういった国家的ミリューの「よそもの」だった。



ロアン・ロアン監督は、最初は記憶銀行社の存在をスイスの経済業界誌の紙面上で知った。そこで「映像に関する利子率のために」というエッセイを寄稿していたのがクリッコスだった。その特異なコンセプトに興味を持ったロアン・ロアンが「・・・パチンコ・パーラーとジャポネーゼの<非−感情システム>の取材をするために今度、そっちへ行くヨ。・・・いろいろと案内してくれないカ。・・・インベーダー・ゲームの名古屋撃ちも覚えたからナ・・・しっかし・・・しっかしだヨオ・・・パフュームはおばさんになったよニ・・・けれど、あのセンター分けの子とも面会したいのデ・・・」と社に打診したのが2020年の秋のことだった。当時、平社員だったクリッコスは、さすがにパフュームとのコネはなかったにせよ、「老後は、ベトナムにおける京都、と呼ばれている中央部のフエに住もう」と考えていたほどのナムマニアだったので、即刻ロアン・ロアン来日時の案内役にあたることになった。それに彼は、ロアンが29歳の時に制作した、それがきっかけでノーベル映画賞を受賞することができたのではないかと言われる『ノーヴェル・ヴァーグ』というダイナマイト発明王の生涯を想像的に追った、甘美な低予算メタ・フィクションのDVDを、字幕翻訳者ちがいで3枚も所有しているほどのロアニストだった。



記憶銀行社創立時、その事務所は「宇宙開発事業団JAXA」の位置する東京都調布市深大寺近辺にあった。その事業は見るも無惨な廃屋を改造した小さな場所から始まったが、立ち上げ当時からグローバル・メモリのコンセプト作りに関しての多角的な理論を各所の優良及び不良企業に提供していた。もちろん理論提供だけでなく、実際の記憶事業もさまざまなレベルで展開していた。いまではおよそ全国で200万人の顧客を持っている日本で随一の記憶産業の大手であり、現在、本社は九段下にあった。(2012−1−22)