ローマを見てから死ね


■ ローマを見てから死ね




僕がなぜ、あの日の待ち合わせを日本橋に指定したか、もう君にはわかっているはずだと思う。いい老舗の鰹節屋があるからだって?子供の頃から食卓に並んでいた山本山海苔の本店があるからだって?三越デパートの玄関に居座っている眠そうなライオンがあまりにも余裕かましていてちょっと不安だからだって?・・・ん?千疋屋の2時間フルーツ食べ放題?1500円?




・・・そりゃいいね。あのアプリコットゲームができるじゃないか?・・・そうじゃない。僕が、なぜ待ち合わせを日本橋に指定したか、それは他でもない、日本道路元標があるからなんだ。日本道路元標、ここはちょっとした名所なんだ。・・・「すべての道はローマに通ず」っていうけれど、どうやら日本の道のすべてはここ、日本橋の橋の中央に設置されている日本道路元標に通じている。と、いうよりも、ここが日本の道路という道路を足下にかかえて「オレが中心なのだ。」と、少々威張っているところなんだ。そう、僕の中心が「僕のへそ」だとすると、僕の右の耳たぶの裏側や、肩甲骨、そして芸術を司る神の指、といわれている左手の薬指、などなどがすべて「へそ」に通じているということなんだ。そして、その「へそ」は「オレは中心だ」と少々威張り散らしているんだ。




・・・僕がなぜ、あの日の待ち合わせを日本橋に指定したか、もう君にはわかっているはずだと思う。日本橋一丁目の一、川辺にある小粋なバー。流れてきたのはアンドリュー・シスターズが歌うキャンディ・マン(『キャンディマン』っていう映画もあったな、音楽はたしかフィリップ・グラス)だった。兵士の、戦士の聞く音楽だ。「・・・冗談じゃない、レッド・アイを飲んで、目がこんなに充血するなんて。」・・・そして、僕がトイレで目薬をさして、席に戻ってきたちょうどその時に、ピンクのスエード地のパンプスに小さな足をつつんであらわれたのが君だったわけさ。・・・「あら、泣いているの?」「そうなんだ、なんだか悲しくってね。」「わたしも、悲しいわ。」「どうして悲しいのかね。」「悲しみに理由はないわ。」「美しい花なんてのはない、花の美しさがあるだけだって、小林秀雄はレトリックったけど、そういうことかね。」「それは・・」「それは?」「あなたはローマには行ったことがあるの?」「ないね。僕は一生ベトナムにしか行かないって運命づけられているんだ。」「そうなの?」「そう、だから、ハノイあたりのジェラテリアで、フェリーニの映画を幻視しているのが関の山さ。あっ、ここトレヴィの泉に似ているっ!て、そんなところさ。あとはずっとアオザイを着込んだ通学途中の女子高生をぼんやりと眺めて・・・」・・・僕たちは挨拶もなしに、とりとめのない会話、例えば、「一生使えるハサミを買おうなんて気にはならないね。だけど、一生使える爪切りは、10代のうちに持つべきだよ。」を、したあと彼女はさっさと二人の支払いを済ませて、重い回転扉を片肘でググっと回し、足早にくぐり抜けた。・・・微発砲性の空、だが吸い込まれるような緊張逆磁力の青だ。ああ冬の空が、こんなにグラビティカルだなんて!・・・「裁きの日を待つまでに、ジャンヌ・ダルクが考えたことは?」「あー腹減った。」?「裁きの日を待つまでに川島芳子が考えたことは?」「あー眠い。」?「それは考えたことじゃない、考えるまでもないことだ。」・<なにか>は問う・・「君はなぜ待ち合わせの場所を・・君がなぜ待ち合わせの場所を・・・あのラブホテル306号室にしなかったのか?」「それはね、ベビールゥ、そういうことなんだ。ドリームイズ、ジャスト、ドリーム、夢は夢に過ぎないってことさ。」




僕はここで「チャオ!」だなんて言わないよ。さよなら、なんて言わないよ。だが、すべての道はローマに通ず。すべてのローマはすべての道に通ず。日本橋、日本道路元標、冬の真昼、舌先でなくなりそうな彼女にもらったイタリア産のキャンディ、2012年12月11日のルビーチューズデイ。つつじヶ丘。