根府川まで





12日、シナハン&ロケハンがてらに出向いた神奈川県の根府川駅周辺の写真を貼り付けておきます。茨木のり子の詩で根府川が詠まれたものがあるそうです。「私がいちばんきれいだったとき・・街はがらがらと崩れていって・・・」これは「わたしが一番きれいだったとき」という彼女の詩の冒頭で、辻井喬が「この詩は好きだ」と言っていたのを覚えています。私は詩はろくに読みませんが、詩的な感性は嫌いではありません。ポエジーという言葉は嫌いですが、エレジーという言葉はそう嫌いではありません。




ずいぶん前に日本橋で呑んだときに、隣りにいた関西弁のサラリーマンが「心中するなら絶対根府川や!」と熱心に言っていました。隣の男は「私にはねえ、心中する相手がおまへん。ので、根府川には行かん。」と言い返していたのを思い出しました。私にも心中する相手はいませんし、ほしくもありません。根府川の下りホームは、清冽な印象を与えます。天国から海を見ているような感覚に陥ってしまいます。しかし、駅を降りると、誰もいません。それどころか、根府川東海道線唯一の無人駅です。






駅を降りてすぐの天国ホームから。陶然とする。






駅階段から見える海。シネスコサイズの映画みたいだ。





無人の駅舎。駅前にはタクシーが一台止まっていた。右手にJA。左手に郵便局と交番。コンビ二、マック等は無し。





交番脇の道路をまっすぐ行けば、店が3件ほどちらほら現れる。そのあたりを海方面に折れると、墓地を抜けて急降下の山道。民家の間を縫って下ってゆくも、誰もいない。急に犬に吠えられたりする。こういう緑と赤の激しいコントラストは、都会ではなかなか見られなくなったように思える。暴力的な鉄の存在。まずは鉄ありきの近代化。しかし、根府川のもっともネガティヴな記憶は、関東大震災で列車車両が海に落っこちて大惨事になったことだ。(後で調べたところによると、震災12年後に列車が海から引き揚げられた)。








国道に出て右に折れると、このポイントに出てくる。白糸川に架かる橋梁と桜。国道は上下線ともに車がけっこう通っている。






「ぱあくえりあ やまもと」という海沿いの店。ここで昼食。
胡蝶蘭はどこからやってきたのか?





カニのお吸い物が美味だった。




客は誰もこない。店員は3名いる。最近店内は禁煙になった。外は強風。




海岸沿い、キャンプ場に咲く菜の花。見事に誰もいない。このあたりで1時間ほど昼寝する。





帰りに出くわした寺山神社。結局、誰もいない。



(追記)

今、「わたしが一番きれいだったとき」の詩をネット上で発見し、
読んだらホロっときてしまったので、ここに貼り付けておきます。




わたしが一番きれいだったとき  茨木のり子


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように