自転車小旅行記



 






 

 

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5月2日から3日にまたいで、1泊の自転車小旅行に出かけた。今年は人並みにゴールデンウィークの休暇があり、できれば2泊したかったが体力尽きて1泊にしておいた。行き先は海方面。目的地はなし。Googleマップなどの地図は参照せず、路ばたにある地図看板と国土交通省が設置している青看板のみを頼りに進んだ。出発したのは2日の20時。深夜走行になる。自宅は世田谷の粕谷になるので、海方面、ということはだいたい環七を下って目黒方面へ行けばとりあえず無駄なく行けるだろう。

 


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(昼間のメンテ時にCATEYEのテールランプをつけた。その他旅用のサドルに取り替え、ハンドルの調整、オイル注入、ブレーキシューがかなり減ってるので確認)

 

 


急に思い立ってのことで、2日の昼間に汚れたランドナーを掃除している(フェンダー磨きにマジックリンを使ったがそれなりにピカピカになった)うちに遠出したくなったのだ。できればキャンプ道具を積んでいきたい。それに3年前あたり新調したテント(mont-bellのクロノス•ドーム2型)は1回使用したきりでそれ以来、袋から取り出していない。目新しいギア類は購入していないものの、テントの張り方を忘れてしまってはどうもいかん💢ので、とるもとりあえず強行した。

 

 

 


東急世田谷線の松原あたりを通過し、環七に出たところに普段お目にかからない神社が出現した。石碑には代田八幡宮と彫ってある。急な階段があり、登っていく人がちらほら。近道になっているのだろうか。ここでまず小休憩を取った。この先の道順が検討つかないので目黒という看板がでてきたらその方向へ向かうことだけに注意した。いつしか国道246線に出て駒沢、池尻あたりを通過。山手通りにぶつかったので右折したらほどなく中目黒についた。走行が爽快である。コロナ禍において人通りもなく車両も少ない。ランドナーの各所にオイルを注入したのが効いたか。荷物もある程度乗せて重くした方がスピードの「伸び」が出るのだ。(ボーリングの玉の原理)。中目黒、五反田、大崎を通過して、JR大井町駅に到着。喉が渇いたのでコーヒーとチョコと大福をコンビニで購入し、小休憩。饅頭とか羊羹の糖分が走行エネルギーのチャージには向いていると思う。小さいサイズの羊羹はよく買う。コンビニ脇で行き先をを失った若者たちが騒いでいる。ここから海方向は北へ行くか、南に行くかで大きく違ってくる。鎌倉由比ヶ浜三浦半島は数年前の年越し時にキャンプで二泊したので、あえて、品川、江東区方面を目指す。北上。22時頃京急青物横丁駅を通過。この先で大井埠頭の看板が出現したのでハッとしてそちらに吸い込まれるように走行。埠頭という文字は京都にすんでいても見かけることはなく、その言葉はこっちに出てきてから知った。あと「濠」というのも京都にはない。急激に多層化したジャンクションが出現し、人通りも車両もほぼ0の地帯に突入した。長々しい陸橋をわたると、「よその土地≒異界」感が見事に到来した。あたりには巨大な倉庫と思われるコンテナ状のものしかなく、雰囲気もかなり茫漠、閑散としていた。(←こういうのは嫌いではなく大好きなイマージュでもある。好き嫌いで云えば)。

 




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(代田八幡宮)

 


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(東急中目黒駅)


「すべては寄り道だ。目的地を持たなければ、ついに迷うことはない。」これは格言か。人生には近道も遠回りもない。どこかに到着することもなく、その都度の方向だけがある。そこには移動の過程と一時的な停泊があるだけ。(つづく)

 

 


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(大崎あたり)


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(大崎あたり)

 

 

 

 

 

夜の大井埠頭はすばらしい光景だった。今回の小旅行は此処がすべてだったと言ってよい。どうしてこのような光景に惹かれるのか?はっきりとした理由を明確にしたことはないが、子供の頃反復してよく見た「石油油田の夢」に関係づけてみると、わかってくるのかもしれない。手元のスマートフォンの写真のデータで確認してみると、青物横丁駅前を通過したのが、22:03、長いジャンクション上の陸橋を渡って、埠頭敷地に入ったのが22:16なので青物横丁駅から10分ちょいで行けることになる。要するにすぐ近くは庶民的な住宅街なのだがそれを完全に分断するようにいくつもの道路が立体交差する場所がありそこを一望できるような位置に歩行者及び自転車通路があるため、「異界性」が顕著に訪れる、という感覚を催すのだろう。そして車両も歩行者もほぼ絶無のため、道路がかなり広く見える。道路の広さに関してひとつ想起しておくべきことがあるが、その広さが意味しているのは緊急事態(有事)に関係がある。その時、緊急発着する飛行機(軍用機)や戦車、または人員、大型トレーラーでしか運搬できないような物資の輸送がその道の潜在的利用価値としてあらかじめ設定されている、ということだ。これは府中駅前の大道路が第二次大戦後のGHQの指示指導のもとで巨大に作られている、(有事には戦車が通れるように作られている)という実際の資料から察している。記憶は曖昧だが、大井埠頭倉庫群エリアを30分ほどかけてグルリと一周したように思う。実際に稼働していた倉庫もあったため、なんとなく長居するところではない、と判断して切り上げた。幻想的な体験だった。また訪れたいと思う。

 

 


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(大井埠頭へ向かう陸橋)

 


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(埠頭敷地内、いちおうバスも通っているみたい)(営業中ファミリーマートが1件だけあった。)



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(カラフルすぎるコンテナ郡)

 

 

 


続けて寝床を探しにゆくが、ここからが難行した。湾岸道路の標識が多く出現し、湾岸道路を走っていることは理解できるのだがどの位置にでてくるのかがわからない。なんども首都高の入り口が出現し、それを見逃したときなどは途中で引き返す事態もあった。それでも走行しているとやっとのことで高層マンションらしきものが近づいてきた。運河おに挟まれていて、絶景といえば絶景なのだが、位置の不明というのはかなりこちらを不安にさせる。(ということは位置がわかっていて意識が不明というのはまだ安全なのだ)。気温も下がり、かなり疲労してきたので途中でチョコを食べエネルギー補給。品川駅は馴染みがある、というか、新幹線で帰省するとき、上下車するので駅周辺をまったく知らないわけではない。なのでとりあえず品川方面を目指すことにした。普段自分の住んでいる場所から東京を把握しているため、品川も大崎もお台場も浜松町も、「だいたい同じところ」なのだが、いざその地にふみこむと、遠近感が見事に狂ってしまう。惰性で行われる電車移動はそういうリアルな土地勘をまんまと無効化してしまうことがよくわかる。

 


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(アイルの意味がわからん…)

 

 

 

瀟洒なマンション群のライトアップが夜の運河の水面に映える。一気に景色がアーバニックになる。地図看板で確認すると天王洲アイルとある。ということは浜松町から羽田空港に向かうもモノレールが走っているのだ。ここでなんとなく一安心するが、あたりにコンビニひとつない。(都心のコンビニは通り外から確認できずビル地下やビル内敷地にあるケースが多い)。飲食店が閉店し、夕飯をコンビニものですます予定だったので、とりあえず通りにあるコンビニを探しに北上。ずっとハイソサエティカルな地帯を通っていたら急に見覚えのある地帯に来た。そこは品川駅から海方面へ出るところで一度歩いたことのある場所だった。モノレールの線路が上空にまっすぐ伸び、緑地公園がある。なんとなく「ここでいいか」とコンビニで酒と食材を買い、寝床を探しに公園を一通り散策することにした。(つづく)