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昼は前衛、および前衛の限界ついてかんがえていました。軍事用語における前衛が「後衛を守る」、ひいては「国家の総体的力」を守備するという目的意識において成立するという意味ではポジティヴなものと捉えられるとして、一方1920年代より主に芸術実践の文脈でイタリア未来派を中心に使用されていた前衛−アヴァンギャルドは、むしろネガティヴだったのではないか。日本空軍における「玉砕イデオロギー」も含めて、「否定の目的化」が、まさしく第二次大戦(世界戦争)における抽象野の理念だったわけだが、この理念の実現は米ソの冷戦におけるような「相互抑止」が第二次世界大戦時には完全に無効にせざるをえないほどにエスカレートしてしまった、という現実とセットになっている。と、比喩的に言えるのかもしれない。抑止と否定は似ているようだがちがう。イタリア未来派の主導者であったマリネッティは、過去を止揚せず、容赦なく歴史を無効化した。しかし、その「前衛」のポーズは、それがポーズにしかならないゆえに未来派は過去を抑止すること、ひいては未来を抑止することにも失敗したのだ、と思われてしかたがない。そもそも前衛の用語法に関しては、わからない。(専門の方があれこれ議論されているとは思うが)芸術的実践を、軍事のメタファーを借りて規定することにそもそもの無理があったのではないか。今は前衛の解釈学があって始めて、前衛が成り立つという時代なのかもしれない。ところで、前衛活け花の中川幸夫氏が逝去されました。合掌。


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夜は花見。待ち合わせの時間を1時間まちがえる。ペイル・ピンクというか、やや病的な薄紫色。六本木ミッドタウンに植えられた桜が幻想的にライトアップされている。ワインのボトルを入れ、京都土産の茶団子をみんなで食べる。寒いので移動。花見はほんの10分ほどで切り上げる。適当に選んで入った門次郎といういろり焼きの店で、あれこれ飲み食い。六本木はまずくて高い店が多いというマイナスイメージが先行していたが、ここは当たりだった。奥のいろりの座敷で、バカ話とエロ話、過去話と未来話。朱色のフロックコートと赤いセーターとマゼンタのスプリングコートと白いコットンかガーゼのシャツと、いきそびれているポロックの展覧会と、是非行きたい高橋由一の展覧会と、七三分けの髪と、前髪のヴォリュームがありすぎる女とニーハイソックスへの批判と、ガーターベルトの全肯定と、トイレに置いてある2つのリンゴと、交差点の真ん中で抱き合うカップル。ラップ、ラップ、エヴリバディ、ラップ。ラップ・オン・ゲイ。ロッポンギ。ちがうか?




いろりが灰皿がわり。


リンゴが芳香剤がわり。


紫桜が黄桜がわり。