大月まで



ひきつづき、シナハン&ロケハン写真。デジカメを忘れたので、携帯写真。神奈川県の根府川の前日に行ったのは、山梨県大月駅周辺である。大月駅に関しては主に2つの理由で執心していた。まず、中央線が山梨県まで通っていることがにわかに信じがたいこと。つぎに、『死んでもいい』という映画の舞台になっていることだ。あとは、相模原とか、相模湖という場所がいまいちピンとこないところで、大月駅までの道程に相模湖があったりして、一度車窓からでも観察しておきたかった。京王線分倍河原駅から南武線に乗り換えて、立川駅まで出る、立川から中央線でずっと西に行くと大月まで出る。このルートで行った。ようするに新宿や渋谷に出なくてもいい、人ごみ回避ルートである。ログハウス風の大月駅を降りて、まず思ったのは「ここは『死んでもいい』の舞台ではない」ということだった。それほど、映画の中の大月と実際の大月はちがっていた。その次に思ったことは、「ここは暴力団がたくさんあって住民を困らせている町である」ということだ。なぜなら「暴力団追放」の旗(黄色地に黒)がたくさん掲げられているからだ。次に思ったのは、山梨バスのカラーリングは京都市バスのカラーリングにそっくり。と、ほどなく駅前をひととおりブラっとしおわって、ログハウスのような店に入り昼食をとった。







富士急行。車体のブルーがやけに新鮮。ほんとうに富士急アイランドまで行くのだろうか。






国道沿いにある店。山仕事用のさまざまな道具だと思われる。これだけ集まれば壮観だ。3軒となりの酒屋で缶ビールとつまみを買って、川の方へ向かう。国道には車がびゅんびゅん通っている。






桂川の方まで出る。あまりにも見慣れない渓谷がすばらしい。一見したところ、京都の保津峡に似てはいるが、谷の「V」の垂直の切り込み性がぜんぜんちがう。橋から川面まで50メートルくらいはありそうで、下を覗くと、くらくらする。川べりにはあまりにも周囲の景色と不釣合いな新築の家が建っていた。








風まかせで歩いていると、花吹の方まで出る。遠くから赤い鳥居が見えて、「まさか鳥居製作の工場では?!」と一瞬興奮したが、ちかづいてみると、なんと高津映画美術だった。鳥居は映画かドラマに使用されるものだったのだ。高津美術は邦画のエンドロールでしょっちゅう出てくる日本随一の映画美術(小道具専門)の会社だが、大月にも支店があったのだ。ちなみにわたしの住んでいる調布市にも高津美術商会のギャラリー展示場があり、映画に使われた小道具が飾ってある、(らしい。)(入ったことはない)。しかし、さきほど調査したら「高津」の読みは、調布にあるほうは「コウヅ」で大月にあるのは「タカツ」である。所変わって読み方が変わっただけなのか?ペプシ・コーラとコカ・コーラほどのちがいだろうか?しかし、こんな田舎に映画美術の会社があること自体、どこか不自然である。同会社だとしても、不自然だし、ちがう会社だとしても、不自然なのだ。こんな壮大な自然に恵まれた土地なのに、不自然ごとは起こってしまう。








二つの鳥居にはさまれた巨大タイヤ。神とゴムの出会い。中期デュシャンの作品です。








再び川の方へ。1時間ほど散策したので、腰を落ち着かせようと、閑散とした道路を歩く。とつぜん、不気味な墓地が出現する。ようやく川べりについて、レコーダーをカバンから出して吹き込みを始める。(最近はレコーダーでメモをとっているのだ、しかもピンマイクなんかさしちゃったりして。)。主に「谷」について考えたことを音声メモする。環境が人柄をつくるのだとしたら、この「谷」が暴力団のハートを魅了してるのではないだろうか。すると、即座に結論づけられるのは、「谷が暴力を生む」ということだ。これは暴力団並みの暴論かもしれないが、土地が土地柄を形成し、土地柄が人柄を形成する、という唯物論は、わりと信じているほうなので、一理あることにしておく。そういうことを逐一レコーダーに吹き込んでおいた。しゃべりすぎて、ほどよく疲れ、なんとなく、ふと、後ろを振り返ると、なんとそこは火葬場であった。墓地、そして火葬場。これはやばいところに来てしまった。しかも周囲には誰もいないし、日がどんどん暮れかけている。とりあえず駅の方に帰ることにした。腹が減ったので、適当に入ったうづきという店で晩酌。カキフライ。