NOTRE MUSIQUE

ミラノ、パリ帰りのS君からゴダールの新作のDVDと、より原液に近いアブサンリキュールを受け取る。ちなみにDVDは39、5ユーロ。ざっとはや送りして見た。ゴダールは捻くれたアマチュアリズム(もちろん肯定的な意味で)に回帰している。フレームに映っている同一対象を大→中と、たんにサイズトリミングしたような一見乱雑なカット繋ぎが2、3箇所見られた。引用は控えめになり、繋ぎ目の強度=ショック作用がやや緩和している。だが、いったい、それがなんなのだろうか?われわれの < la realite rugueuse > にとって何なのだろうか?なんでもない。だが、なぜなんでもないのか?わからない。

ゴダール、この初恋人(坂本龍一ではないが)に、僕はまたも後ろ髪を引かれている。冒頭のペンギンのポップさ加減、地獄編の過剰そのものの戦争イメージの乱打、天国編のビキニ姿の女のハシャギぶりの馬鹿さ加減。(ゴダール初期批評<伊達男と馬鹿娘>を読め!)やはりゴダールでしかない。以下引用。

「人生は辛い辛いといつも繰り返しているような連中は、この辺に来て、しばらく暮らしてみるのがいいのだ。哲学を学ぶためにね」こんな言葉も、書簡中ほとんど唯一の皮肉である。かつての侮蔑嘲笑の天才がふと口をすべらした、と言ったものであろうか。ともあれ、書簡に現れた事実と書簡の文体とは、言葉の虚偽に別れ、
「ざらざらした現実」(la realite rugueuse)を抱きしめる事だけが自分に残されたと信じた人間のものである事を明らかに示している。」

(ジャン・ニコラス・アルチュール・ランボー『地獄の季節』 文庫版 小林秀雄の後書きより)