新・映画ノート 2 ⚫2017・12







⚫河内のオッサンの唄。続きあれこれ思うがフレーム内平均15人くらいのシーンがやたらに多く、しかも派手目のアクションが必ず起こる、そこでカット割りだが、これが卒なくされている。何が言いたいかというとフレーム内2,3人はまだ繋ぎやすいし、一方200人,300人のモブシーンも繋ぎやすい

⚫15人あたりは大変繋ぎにくいのではないかと。わんさわんさと展開し、中心をしめる怒声とシバキ(シバキ音)が突出していて、しっとり見せるための編集ではないことは確か。カット単位が短くその内部でカラフルな差し色、奇天烈なファッションが視覚的に突き刺さり、一方でシバキ音が耳に突き刺さる。

⚫河内コミュニティの長(超越者)だったミヤコ蝶々が死んでからの後半が完全に見世物ヤクザ暴力スペクタクルグルーブの様相を呈し、やや残念。でも織田作的な大阪庶民もんとの差異は歴然とある。川谷拓三が終始かぶっているサンバイザー。たまにマルコム・マクラレンに見えたり……。

⚫一番好きなシーンはミヤコ蝶々のノラ飲み(セット内撮影)。小学生が遠足で持っていくような水筒(柄がはっきり見えないの残念!)に酒を入れ、三輪車の椅子に座ってグビ。男もんのゴツイ腕時計。ちゃめちゃめお茶目。東京もんがなにゆーとんねんじゃかーしわ。これにグッとくる&ハッとする。

⚫反ファストファッション的ファッショニスタが見るのええんではないでしょうか。あと「ワレ」二人称がたまに「オンドレ」に変化し、それが三人称になると「オンドレラ」になるのです。シンデレラみたいですね。なんつって。

⚫うぉんちゅ〜♪でかつてお馴染みだった スローなブギにしてくれ 1981 を途中まで。じつは初見。画格、フレームワークは好み。少々ガサツなトラッキングショット、的を得ていないズーミングは時代のものか。「死の棘」と同じキャメラマンだった。

⚫基地内部、基地周辺、下町、という非日本映画的ロケーション。古尾谷雅人が初期の吉野家でバイトしていてその内装を見るだけでも楽しい。浅野温子はあまり好みの顔ではないが、子猫のおかげでチャーミングさは⬆

⚫スローなブギにしてくれ 観了。三角関係が長引いた末、関係そのものが崩壊。海のラストシーンは見事だった。し、水平運動と垂直運動のバランスが見事に計算されていたことが了解された。

⚫ヴィークル(乗り物)の扱い方も周到だ。ムスタング(USA)、400ccのHONDA(japan)、に始まり、電車を少し挟んで自転車(当時流行っていたランドナーだ!)で締めくくられる。

⚫他殺と自殺の境界あやういムスタングの海への飛び込み事故とそれを持ち上げるクレーンは最後の巨大な垂直運動であり、ここで映画の景色がガラっと変わる。

⚫さち乃(浅野温子)の強姦事件は蛇足のように思えたが、まだファミリーロマンスの残る米軍ハウスで、家族的共同体を完全崩壊へ向かわせるような破壊衝動をともなったパフォーマンスを見せるには必要だったのだろう。と。

⚫少し長いような気がしたが、拍手もんのいい映画だった。室田日出男(何年か前逝去)はいい役者だな。そんで原作にも手を出してみたい。

⚫似てるビートルズの「オー!ダーリン」は少しもいい曲だと思わないがこれはいい曲に思える。中森明菜のヴァージョンは薄口のあっさり目(つうか、アンニュイ度が強い)で聴きやすい。

⚫もいっこ冒頭に出てくる「性病予防週間は終わったか」という記事の文字とそれを読んでいた宮里がその直後ジョギング中に死んでしまうことと、彼と同居相手の山崎努演ずる「ムスタング」の半裸体、特に白いブリーフ白いソックスをふくむ映像はホモセクシュアルの暗喩なのかと言えばそうではない、のか


というところも気になった

犬神家の一族 1976 [原作は1972] 途中まで。 監督は市川崑でこれも初見。あのカッコつけた(よく言えばスタイリッシュ)(まあ当時は新鮮だったんだろけど)(でもなぜか見てるのしんどくなる)編集についてあれこれ思うが、息継ぎの「ない」編集の仕方なんだよな。

⚫比較するのもなんだが、ゴダール的編集は「トン・ツー・トト・・ツー」とか、間に「・・」という息継ぎの間みたいなものがあって、これが独特のかっこよさと心地よさが混交したモンタージュになっている。一方の


市川編集はショット継ぎ目が「ツツツツー・トト」的なものが多く(予告編に顕著)本人はノリノリで「かっこえーー!」てなってるんだろけど、ゴダールのとは似て非なる。似てなくもないか 。


ややこしい言い方だけど、ショット継ぎ目(=編集継ぎ目)の瞬間にショット内部眼球運動的ファクターを持ってくる。それが市川編集。ショットの要素が編集従属的になってしまい、対象の自律性がいったん損なわれる。わかりにくいかな。


(訂正) 瞬間→瞬間の近傍


フィリップ・ガレルが 死の棘 を誉めていたというのをどこかで読んで妙に納得するものがあった ガレル的静謐さ ヒリヒリとした 痛苦が刻まれた感じの


犬神家の一族 つづき。性悪女、梅子演ずる草笛光子の髪のボサボサ加減、だらしない着つけが素晴らしい。それは鬼婆風の高峰三枝子とのコントラストなんだけど。


犬神家の一族 つづき。 裸体死体の撮り方は上手いというかそれが即物的でありすぎてむしろキッチュ(というか滑稽)。このあたりの横溝趣味。花壇のなかに突然裸体(小説 花園の悪魔)。菊人形の頭だけ生首(本作)というセンスに諧謔性をかんじたりもする。


主題は 遺産相続=いったい誰が得をするのか それに血眼必死 というブルジョワジーへの皮肉で、まあブニュエル的だというのもヤボだけど、やはり高峰三枝子草笛光子のヒステリックな演技がすばらしい。女たちは金欲まみれ、そこには男たちの愛欲まみれという背景がありながらも


佐清(スケキヨ)のマスクの下に隠された太平洋戦争のむごたらしい傷痕の表象が一気に状況を「金=現象」からそれを形而上学的(メタフィジカル)にする。