浮気っぽい天候が





■曇り空、やや肌寒い。浮気っぽい天候が心にくい。午前中はタマ川まで行って、瞑想でもしようかと思ったが買い物の他は部屋にいた。


■煙草を買いにゆく途中にある近所の家のカラスよけのCDを見ると、思わずある話が思い浮かぶ。去年途中まで書いていた「一発あてるぞ系」のお話だ。主人公はシンガーソングライターになることを夢みていたが、諦めてしまった男。10年前に一枚だけCDを出した。主人公のかつてのいい思い出や悪い思い出がいっぱい詰まっているたった一枚のCD。それがよその家の木にカラスよけ用として吊られていて、すごく複雑な思いに襲われ、ウツ状態が続き、そのCDがいつまでたってもしつこく吊ってあるので、ある日、勇気をふりしぼってその家の住人に理由を話しに行き、吊るすのをやめてもらう。その時、家の住人は「やっぱり庭の木にCD吊るすなんて景観もよくないし、木に悪いわね」とCDを吊るすのを一時的にやめるのだが、そのとたんにカラスが庭の木の実や花をあらしはじめ、それを阻止しようとした一人娘が庭の石に頭をぶつけて流血惨事となり、入院する。主人公はその事態を知らなかったのだが、ある日、その家で告別式が行われており、娘が死んでしまったのを知ってしまう。心のシコリが肥大化してゆき、罪悪感にさいなまされ、娘の両親にお詫びとお悔やみに行く主人公。しかし、母親は主人公にこう告げる。「娘は最後まであなたの歌を聞いていましたよ。・・・娘は死ぬ間際にはあなたの作った「マリアとカラス」という曲をよく口ずさんでいました。何回も聞いたので、わたしも覚えてしまいましたよ。」と。母親は「マリアとカラス」をその場で歌い始め、主人公は泣き崩れ、観客もほよよも泣きまくる。だが、その瞬間から主人公の絡まった過去(主人公が殺害した売春婦マリとの複雑な関係)が恐るべきスピードで開示されてゆき、主人公は神に再生の啓示を与えられ、洞窟での生活をはじめる。という話。「洞窟−ミュージシャンの故郷」という図式から古典の「宇津保物語」とどうしても繋げたかったのだが、いろいろ調べ物をしているうちに中断してしまったもの。けど、いつか撮りたい。


■午後から『ソナチネ』を見直す。公開当時京都の映画館で見たときは200席以上はあるなかで、ぼくを含めて4、5人のお客だったが、見終わったあと、盛り上がって珍しくパンフまで買ってしまった数少ない邦画。北野映画では『ソナチネ』が一番好きだ。ミニマリズムとは言い切れないにせよ、海辺の小屋から人物が出いりしているだけで、何かが起こっていると思わせる造形的な動きや、それに伴う幾何学的なカメラワークは20年代フリッツ・ラングやドライヤーの映画、清水宏の映画に近いものがあるように思える。テレビ・モニターで見てもぜんぜんな映画だが、赤と水色の強いコントラストや、建築の特性を配慮した人物の配置や動き、その組み換えを扱うことに主眼を置いた演出が冴えている。サドゥンリーな感じも、随所にちりばめてあるが、一方で海にい続けると、湧き上がってくる「どうしようもない退屈さ」がたっぷりとたゆたうトラッキング・ショットによって写されもする。それが、かえって海の退屈さのリアリティーや海が引き起こすニヒリズムを逆照射している。沖縄の踊り子さんの化粧がすごくきれいに映っていた。すてきだ。


■どうしても知りたい曲があって有線に問い合わせるも、分からず。ネットで調べても分からず。多分10年前くらいの曲で「愛しい人よー 涙流してもー♪」っていうサビのフレーズ。そこしか知らんからと云い、電話でハナ歌をうたった。恥ずかしい。吉田美奈子ちあきなおみみたいな渋めの熟女声で、サビが1コーラスなのが特徴。流行はしなかったと思う。誰か知ってたら教えて欲しい。そんで、有線の受付嬢に、ハナ唄で検索できるサービスを始めてください、と主張しておいた。


■晩は漱石の『それから』を読みはじめるが目が活字に定着せず中断。蛍光灯に反射する紙に意識がもっていかれた。パラパラとめくっていると最後の方に幸徳秋水についての記述があった。