セザンヌ






の画集を見る。全然お金がないときに買った洋書で見る。(まあいつもお金はない)。ぼくは京都市北区の大宮小学校っていうとこに行ってたんだけど、薄暗い校舎の踊り場に『リンゴとオレンジ』(1895〜1900)の複製がかけてあったのを覚えている。これを見たのが初セザンヌ体験。ぼうっと薄暗い校舎の中で小さな窓からの光に反射していた。なんかまずそうなリンゴやなーとか思てた。なんでその絵を覚えているかというと、「北の子」っていう文集に原因がある。ぼくは小学校のときは絵がけっこう上手な子だったらしく、北区の小学生が書いた文章ばかり集めた「北の子」っていう文集の表紙に選ばれたことがあった。小学二年生の時の話。その時の担任の先生が佐藤先生っていって、お尻が大きくてショート・ボブのかっこいい女の先生だったからか、けっこう好きな先生だった。で、「北の子」の表紙に選ばれるからと言って、放課後教室に残されて期日に間に合わないとかそんな理由でぼくが描いた絵を佐藤先生が勝手に塗り替えてしまった。「え?なんでそんなことするの?」とか子供心に思っていたが、先生の手があまりにも忙しく、なんというか茫然自失になってしまっていた。問題はそのあと、踊り場の壁にかけてあるセザンヌの『リンゴとオレンジ』の絵の前に立たされて、説教を受けたことにある。どんな説教を受けたかは忘れたが、とにかく「今、ぼくは説教をうけている」と感じていた。ようはセザンヌの『リンゴとオレンジ』はこれこれこんな描き方だけど、のがみくんはそうじゃなくて、これこれこうでしょ。みたいな責められ方をした。(「セザンヌ」っていう音の響きを聞いたのはその時がはじめてだった。)描いた絵は(なんと言う昔話かは思い出せないが)「昔話のワンシーンを絵にしましょう」っていう決められた題材で描いた、セザンヌとはまったく関係のない絵なのだが、竜が空を飛んでいて口から小判がざくざく出ている場面だった。先生が手を入れたのは竜が空を飛んでいる感じを出すためのシューとかサーというマンガ的記号的な箇所だったが、ぼくはべつだん腹も立てず、「あっ、こっちの方がええなー」とか思っていた。だけど、先生が手を入れた絵が完全にぼくという作者で文集にクレジットされ印刷されていたのがけっこう謎めいたことなのだった。それが、たぶん「純粋なオリジナルなんてない」という認識に繋がっていったのだと思う。





そういうことをぼんやり回想しながら『赤いチョッキを着た少年』(ローザンヌ レバー・コレクション 1890〜1895)を見てた。やっぱり耳大きすぎるし、腕長すぎる。耳の大きさと腕の長さをVIDEOで撮影しておいた。しかし、佐藤先生はセザンヌのどこかどう好きやったのかなあ?