2010-01-01から1年間の記事一覧

ランダムノーツ 2

■ランダムノーツ 2 ・石ころは石ころの記憶を持っているのか。石ころを知覚する者だけが石ころの所有している記憶を、想像的に得ることができるのか。自らの想像をその石ころに投影し、石ころには<たしかに>記憶があったと言える時点にまで、石ころを固有…

ランダムノーツ 1

■ランダムノーツ 1 ・『RRR2』終了後、さっそく新作の短編の構想が頭をよぎっている。構想は何も今に始まったことじゃなくて、『RRR2』編集中、および編集以前からさまざまなシークエンスを「具体的な絵コンテとして」ノートに書き写したり、コメンタリーを…

現代戦争ノート 1

■ 現代戦争ノート 1 (先日18日、暑い最中、調布まで足を運んでくださったみなさん、そして出演者であり、対談相手の古谷さん、ありがとうございました。とても面白かったです。) * (以下は7月18日、『RED RED RIVER 2』の上映に際して配布されたパン…

上映まで

連夜の不眠状態をくぐり抜け、やっとのことで新作が完成した。4回繰り返し見たが、矢部史郎の最後のセリフにはグッと来た。この一言を撮るためにトータルで10時間もテープを回したのか!と思う。 ひとまず完成して、予定通り明後日の18日に初映すること…

メモ 7

■ 荒川修作 追悼 ウィキペディアによると2010年、つまり今年の5月15日、荒川修作がニューヨークの病院で死去したらしい。荒川修作には特定の作品を通じた思い入れはないが、「ひとつの偉大な魂が成仏したのだ」とでも言うべき「達成感=欠落感」を「…

メモ 6

■ 編集今回の映画は、部分的ではあるが、ジョナス・メカスの編集方法を参考にしながらやっている。(『時を数えて砂漠に立つ』あたりか)。メカスは自然を近接地点からなで回すように撮り、撮ったものをみじん切りのような細かいカットに分解し、また別の自…

メモ 5

■ 編集一日中部屋にこもって編集する。当然腹がすく。ちゃっちゃっと、いかすみパスタなんかを作って食べる。編集は続く。「腹がすいたあたりに奥さんがやってきて、黙って食事を置いて行ってくれたらな〜」とか、そんな雑念が頭を占め始め、「もういっかい…

メモ 4

■ ゴールデン街の桃ちゃん ひさびさにゴールデン街に足を運んだ。雨がちらほら降っていて、赤や黄色のネオンの輝きがうるおしい。まずは、寝屋川出身のマスターがやっている『ばるぼらや』の二階で食事をする。ここのマスターは京都のことをよく知っていて、…

メモ 3

■ケージからサティへ 電車の中、『ジョン・ケージ著作選』を読みながら、あれこれ頭を過ったこと。いわゆる現代音楽をわりと熱心に聞いていたのは、20代全般で、鴨川べりにあるゲーテ・インスティトュート(関西ドイツ文化センター)でおこなわれていたマ…

メモ 2

■ 撮影先日、画家の古谷利裕さんを撮影した。国分寺崖線(古来からの多摩川の水の流れが土地をゆっくり削って、できあがった崖)に位置する立ち入り可能な生産緑地地区で小枝を拾ってもらったり、公道で走ってもらったりした。古谷さんのブログに目を通した…

メモ 1

ジャック・ランシエールの『イメージの運命』。原題の「運命」にあてられている単語は、「fatal」ではなく「destin」なので、「運命」は、より抽象的に響く。(「イメージ」に対してやや否定的なニュアンスがあるといってよいかもしれない)ブレッソン、グリ…

 『RED RED RIVER 2』 7月18日 上映 

WEBLOG→http://d.hatena.ne.jp/rrr2/

音楽ノート 2

■ 音楽ノート2 ビートルズ ベスト10 昼間、コーヒーフレッシュの容れものをじっと見ていたら、どーでもいいことを考えたくなり、喫茶店でビートルズベスト250をつくろうとリストアップしていたが10で断念。こういうの書くのはとても「おっさんくさい…

編集ノート 1

■ 編集ノート 1 編集というコンセプトは次の点において重要である。 1 「無関係な2つもの」と「関係のある2つもの」は、「編集」それ自体が媒介している。これは「無関係性」(私とあなたは関係ない)と「関係性」(私とあなたは関係ある)が「同時的現…

建築ノート 6

■ 建築ノート 6 ところで、主に戦中戦後に活躍した美学者、中井正一は「壁」(1932)というエッセイで次のようにいっている。 _________________________________ 機械と集団建築が生活の大衆的単位となりつつある時、壁…

建築ノート 5

■ 建築ノート 5 「建築ノート 4」において、私は壁が壁であることを注視させない<壁そのもの−物質>について触れ、その物質性こそが<建築への無関心性>をおびきよせるものだといった。 ところで、ベンヤミンの言う<建築に向けられる散漫な知覚体制>と…

読書ノート 8

■ 可能涼介『圧縮文学集成』 一昨日、自室のドアの前に本が置いてあった。「新著が出ました。ご高覧下さい 。 可能」とペンで書かれた茶封筒に本が入っている。さっそく手に取ってみる。帯に柄谷行人と康芳夫の推薦文が掲げられている。 「可能性の文学がこ…

建築ノート 4

■ 建築ノート 4 さて、ここで「建築への無関心性」がいかなるものなのかを考えておきたい。通常わわわれは「家」に住んでいる(ここではワンルームマンションなどの「部屋」も「家」として見なしておく)。「家」に住んでいるにもかかわらず、「家」を常々…

建築ノート 3

■ 建築ノート 3 「ディコンストラクション(脱−構築)をコンストラクション(構築)の問題から考えること」、この動機が通底する柄谷行人の『隠喩としての建築』は、著者が述べている通り、磯崎新の『建築の解体』(1976)の影響下において書かれたといって…

建築ノート 2

■ 建築ノート 2 「建築」と「建築術」。この二項は、それらの「対立」ではない。なぜならあらゆる「建築」は「建築術」に包含される他ないからである。言うまでもなく「建築術」があって、はじめて「建築」が成り立つ。あらゆる「建築」は「建築する技術」…

建築ノート 1

■ 建築ノート 1 数年前、柄谷行人の『定本 柄谷行人集2 隠喩としての建築』の「英語版序文」と「後記」を読みたいばかりに、たしか新宿のJUNK堂で購入した。当時、実際に目を通したはずだが、最近、再読してみて新鮮な発見があった。それは柄谷行人が、現…

美術ノート 6

■ 古谷利裕の新作 吉祥寺100年 「もぐら叩き」というゲームがあった。10数個の穴からモグラが出たり入ったりする。出現中のモグラを狙って、でかいトンカチのようなもので叩くのに成功すると点数が稼げる、といういたって単純なゲームだ。モグラは複数…

美術ノート 5

■ エドゥアール・マネ展 三菱一号館美術館 2010年4月6日より7月25日まで丸の内の三菱一号館美術館において「マネとモダン・パリ」というタイトルで展覧会が行われている。4月11日に足を延ばして、2週間ほど経ったが、以下、ざっくばらんに感想…

美術ノート 4

■ 岡崎乾二郎特集展示(後期) 東京都現代美術館 1後期展示における見所はなんといっても「釉彩陶磁床」だろう。これは昨年、2009年に作家が個人住宅の設計依頼を受けて制作した文字通りの「床」である。同一寸法の2種類のものが展示されていたが、一…

建築ノート 0

■ 建築ノート 0 このウェブログにおいては、書く内容においてジャンルを特定していない。そしてだいたい怠惰(というよりも怠慢)な性格なので、テクストの誤字脱字や間違った表記さえ、そのまま放置してあるものがある、と分かっていても、なおも、そのま…

美術ノート 3

■ タマラ・ド・レンピッカ展 Bunkamura the musiam 嫌味な言い方になるが、おそらくは海野弘なんかが持ち上げるような文脈で大衆に玩弄されているのだろう、タマラ・ド・レンピッカの画業の、ほぼ全貌を観覧できる展覧会に行った。宣伝材料として大々的に展…

勉強会ノート 2

3月7日に映像芸術理論の勉強会「IMAGON STUDIES vol.1」を予定していたのだが、祖母が逝去したため、しばらく帰京していた(享年91歳)。1週間遅れの14日、予定通り、皇居脇の一角で勉強会を行った。*私のファミリーネームのローマ字表記である「NOG…

美術ノート 2

■ ルノワール展 新国立美術館 気晴らし、あるいは気散じとしてルノワール展へ行った。「ルノワールへの旅」「身体表現」「花と装飾画」「ファッションとロココの伝統」と、4つのチャプターから構成されており、おおむね年代順に展示されていた。特別に感銘…

勉強会 予告

勉強会を開催することにした。 テキスト中心ではなく、プロジェクターによる参考映像資料の上映と、僕のパロール中心のレクチャーになる。 が、資料や図版も存分に使う。そもそも「教える」という立場(任務)には甚だ自身がないし、今まで避けて通ってきた…

RED RED RIVER 2 予告