メモ 2


■ 撮影

先日、画家の古谷利裕さんを撮影した。国分寺崖線(古来からの多摩川の水の流れが土地をゆっくり削って、できあがった崖)に位置する立ち入り可能な生産緑地地区で小枝を拾ってもらったり、公道で走ってもらったりした。古谷さんのブログに目を通したら、僕はずっと「フルヤ」を間違えて「フルタニ」と発音していたということだ(失礼しました)。古谷さんと最初にお会いしたのは、たしか四谷三丁目のベルギー大使館の近所にあるビルの一角で、そこでも僕は名前を「フルタニ」と間違えて呼んでいて、傍にいた詩人の稲川さん(稲川方人さん)からたしなめられたのを思い出した。お会いしたのは数年前だけど、僕が京都に住んでいるときから彼とのメールのやりとりは何回かあったと記憶している。たぶん、最初にウェブサイト「現代映画」をやった時に、リンクを貼るのはいやだったので、個人的に読んで欲しいと思った人にメールした。「読んでほしいなあ」と思った人は、2人しかいなかったけど、そのうちのひとりが古谷さんだった。


■ 大いなる午後

久々に京都の知人から電話があった。なんでも京都のここ20年くらいの文化的な動きを一冊の本にまとめたいらしく、彼が自主的に企画−発案しているそうだ。15年前くらいに京都の建仁寺のちかくにあったクラブ・コンテナで『大いなる午後』と題して、公開学習会的なイヴェントをやっていた時期があって、その時の資料があったらみせて欲しいということだった。『大いなる午後』は3回やっていて、1回目は「映画」、2回目は「建築と文学」、3回目は「ファッション」だった。当時、午後5時から10時30分くらいまで映写技師の仕事をして、そのあと、とくにやることもなくコンテナに行って、朝まで呑んだり、遊んでいて、そんな漠然とした雰囲気のなかで、西社長が「音楽にも飽きてきたので、なんか目新しいことやってくれ、無料で貸すから。」と頼んできて、やったのだと思う。「映画」篇は僕が先鞭をつけて企画していて、ゲストで東京から二人招いて、座談会などしつつゴダールの『うまくいってる?』の英語字幕版などをプロジェクターで参考上映したりした。