■ 建築ノート 0
このウェブログにおいては、書く内容においてジャンルを特定していない。そしてだいたい怠惰(というよりも怠慢)な性格なので、テクストの誤字脱字や間違った表記さえ、そのまま放置してあるものがある、と分かっていても、なおも、そのままにしてあったりする。(さすがに、先日アップロードしたレンピッカ展はひどかったので修正した)。
目下のところ、映画、美術、音楽、数学(遠山啓)、神学(落合仁司)、心霊学など、あいかわらず関心は多岐に渡るが、そろそろ建築について意識的に取り組みたくなってきた、という時期が1ヶ月ばかり続いている。先日『磁器と火山』の完成準備版を上映し、さまざまな意見をシャッフルしながら完成版へのだいたいの輪郭がまとまってきて、そして7月に新作を上映することになっている今、なぜか「建築だな。」と思い始め、今は建築関連の書物が部屋にゴロついている。
ここらあたりで「建築の分からなさ」というよりも、今まで継続していた「建築への無関心」がどこから去来していたのか?という問いとともに「建築ノート」を開始したいと思う。
つまりは<建築への「無関心」への関心>こそが、建築への関心をかき立ててやまないのだが、私なりに「建築への無関心性」の内実をくどくど書き連ねてみるのも面白いかと思う。そして、素朴な身体論や環境論では説ききれない「無関心性」へのヴェクトルが発見できれば、それはそれで大きな成果となることを自らに期待する。シニカルでもアイロニカルでもない態度で臨みたいところだ。