メモ 5


■ 編集

一日中部屋にこもって編集する。当然腹がすく。ちゃっちゃっと、いかすみパスタなんかを作って食べる。編集は続く。「腹がすいたあたりに奥さんがやってきて、黙って食事を置いて行ってくれたらな〜」とか、そんな雑念が頭を占め始め、「もういっかい結婚しよかな〜」とか「結婚資金ないよな〜」とか「けど、結婚資金なくてもええよな〜、いや、ちょっとはいるかな?」とか「結婚する以前に相手いないよな!」とか、雑念がエンドレスになり、一度だけ気晴らしに散歩に出る。16時くらいに、ほんの10分くらい夕立が降った。飴玉くらいのすごく大きな雨粒で、じっと目を凝らしていると水飴のようなトロトロな感じになってきた。



■ 編集

編集においてカット間の無関係性を強調するのはなかなか難しい。「無関係つなぎ」をしても、その2つのカット間においては無関係なのだが、通して見直すと、関係ありそうな画面の細部が出てきて、頭が勝手に関係づけていることがある。編集における「ヘレニズム的時間」と「ヘブライズム的時間」の矛盾を解消したいところだ。



■ 編集

例えば「鼻唄が歌える」ということは、頭が録音装置になっており、しかも再生装置にもなっていることでもある。ということは頭というのは一種の機械であり、「鼻唄を歌える」というアプリケーションが備わっているということでもある。「妄想できる」というアプリケーションもあり、「喋ることができる」アプリケーションもある。それらの複数のアプリケーションを並列的に抱え込んだ状態が自然な脳の状態だとは思うが、そこに直列的な軸を作り、各要素間(例えば妄想Aと鼻唄Cと言語E)を編集できるアプリケーションがない。(というよりも明確に意識づけできない)。今編集している映画はこういうことにも大きく関係しているようでならない。(2010-07−02)