メモ 7


■ 荒川修作 追悼





ウィキペディアによると2010年、つまり今年の5月15日、荒川修作がニューヨークの病院で死去したらしい。荒川修作には特定の作品を通じた思い入れはないが、「ひとつの偉大な魂が成仏したのだ」とでも言うべき「達成感=欠落感」を「彼の死それ自体」に感じてしまう(と、言い切ってしまおう)。





半年ほど前、塚原史の『荒川修作の軌跡と奇跡』(NTT出版)という書物をリブロで購入して、断続的にパラパラ読んでいたのだが、特に若き日のアラカワが、瀧口修造のはからいを受けてニューヨークに引越してからの話(マルセル・デュシャンに面倒見てもらったり、オノ・ヨーコにアトリエをもらったりしている)や著者によるインタビューは日本の「現代美術」を最考察する上で貴重な資料となるのではないか。





数年前、竹橋にあるMOMAT(国立近代美術館)の常設展示でアラカワの作品が一点だけあって、それを見たことがある。「なんだか説明くさくてまどろっこしいなあ」というくらいの感想しか持てなかったが、日本の美術もこういう姿勢(美に対する分析的な姿勢)を持った時期を確実に通過しているのだ、ということを想起しなおしてもよいかと思う。





あとは三鷹にある養老天命反転住宅か(http://www.architectural-body.com/mitaka/)。こここは環状8号線沿いにある「免許更新センター」みたいなところ(僕が東京に越してから2年に一回くらい行っているところ)の近くにあって、調布駅の北口から出ているバスの車窓からたまたま現物をはじめて見た時にはやはり驚いたものだった。(ちなみに調布駅北口には妹島和世(セジマカズヨ)が設計した(たぶん、日本一)洒落た交番がある)。





三鷹の反転住宅は、写真で見るよりもスケールは小さく感じたが、あれだけ奇異な感じを受ける建造物はこれをおいて他はないだろう、というくらい素っ頓狂な建物だった。「建築が建築に対しての異物たりえる」という意味で既存の建築への批評的契機をともなっているのではないだろうか。





荒川修作は日本の美術に対してクリティカルな姿勢(絶対的な不自由性としての批評性)を最後まで保持していたと思われる。しかし、一方で最大限の(反批評的な)自由を渇望し、それを実践し、死んでいった、とも言える。(2010-07-06)