5月2日、京橋のフィルムセンターで19:00から『夕暮れまで』。5月と6月は今村昌平黒木和雄監督の特集が組まれており、これは黒木和雄監督の1980年の作品。以下、かんたんな感想。まずは、政治の季節が終わったあとの妙に弛緩した、というか浮遊した雰囲気がそのまま出ているように思われた。映画から「熱さ」が取り除かれていく過渡期的な作品のひとつだろうかポストモダン前夜という感じがする。・・冒頭、田舎の海沿いを走るバス。中年男がのそのそと女に近づき、女の下車をしげしげと追う。閑散とした道路。女はアンニュイな雰囲気を醸し出しだす一方でミステリアスな行為を男にしでかす。「目をつむってちょうだい」と言う。男は目をつむる。女は男の目前に手をあてがう。「ほら、見えるでしょ」と呟く。女はつづいて「かけっこしましょ」と言い放ち、一人でさっさと走っていく。固く低いヒールの音とともに画面には女の尻が揺れている様が映る。ラスト。ヴァージンだと偽りつづけた女が数回の性交をへて使用済みであることがばれてしまい、困惑顔を露にして、薄明の海沿いで埠頭のコンクリートを駆け抜ける。「そんなことたいしたことじゃない」と、男が彼女を車で追いかける。車の急ブレーキが女の足を止める。・・・この冒頭からラストまで、一年中、情事に疲れきっているような男の口から掃き出される紫煙と、垂直にたれさがるネクタイと、その男と会うたびにヒールが高くなってゆき、ルージュが濃くなってゆく女から掃き出される生気を欠いた言葉とロングスカートが画面をダークグレイに、退嬰的なものに仕立ててゆく。・・・コテージでのカクテルパーティーがあり、浜辺で炎に包まれるマネキンがあり、ダンスフロアでの倦怠があり、小料理屋でのささやかな会話があり、今から口にする活け簀のアワビが「オスなのかメスなのか?」と老店主に質問する男のさえない猫背姿があり、デパートのおもちゃ売り場でのシニスムがあり、川沿いでのワゴン生活があり、酒があり、シャンソンがあり、ベッドがあり、ダイヤル式の黒電話があり、切りすぎた爪があり、「もともとしょっぱいフレンチトーストに塩なんかいれちゃダメだって?おれは塩入りのフレンチトーストが好きなんだ!さっさと作らんか!」と夫婦喧嘩する姿があり、いつまでたっても曇天が続く画面がある。男は性的充実だけを求めているのだが、女は自分がヴァージンだと偽ったためか性欲と反比例するように食欲に走っている。





男を演じるのは伊丹十三。女を演じるのは桃井かおり。原作は吉行淳之介の1978年、芥川賞受賞作品。関係の崩壊、じわじわと崩壊してゆく関係。三角関係ではなく、二等辺三角関係。小説家の男には妻がいるが情痴小説の創作のため愛人をしょっちゅう取り替えているような男、くたびれた男、使いきった男。彼は家族の前で新聞を読むときは肘掛け椅子にちゃんと座らないし、座ろうともしない。肘掛けが膝掛けになってるのだ。





前半の濡れ場が多すぎる、音楽の説明的なつけかたが全然ダメ、とかいろいろ批判すべき箇所もあるが、好き嫌いで言えば好きな映画だし、いいタイミングで見たと思った。黒木和雄にはそんなに興味があるとは言えなかったが、昨秋に早稲田大学塚原史ゼミナールの上映企画で自作の『RED RED RIVER』を上映させてもらったところ、なぜか黒木監督のアシスタントを20年やっていたという女性が見に来てくださり、打ち上げの席で、わーわーと歓談しているうちに、黒木監督をめぐる資料を後日渡されてそれをぼんやり眺めているうちに興味がじわじわとわいてきた。昨年、逝去した監督であるが、黒木夫人が作成した詳細すぎると言っていいほどの年譜などは読み応えがある。しかし葬儀に参列した原田芳雄が黒服でマイク片手に挨拶している写真などは、「なぜこの写真が自分の手元にあるのか」まったく了解できないし判然としない。が、こうことがあってもなんらおかしくはない。