■ ランダムノーツ9
・フェリーニの『ジンジャーとフレッド』(DVD)。1985年、イタリア、フランス、西ドイツ合作作品。フェリーニの映画の印象はどの作品を観ても「ストーリーが明白ではない」というものだった(『道』以外は)。むしろリリパッド(小人)や巨人などのフリークスが出てきたり、彼ら/彼女らがサーカスに出演し、(昔、文化記号論学者の山口昌男が書いていた)「ハレ」の祝祭空間としての映画空間の表出を得意とする監督だという印象の方が強かった。『ジンジャーとフレッド』もストーリーというか、かなりおおざっぱな話の輪郭があるだけで、やたらと細部のエピソードが常にごちゃごちゃしていてるにもかかわらず、しかし、2時間まるまるそんなに飽きることなく観れるという不思議なものだった。30年ぶりに再会した、かつての名うてのタップダンサーコンビであるジンジャー(ジュリエッタ・マシーナ演じる)とフレッド(マルチェロ・マストロヤンニ演じる)が、とあるテレビ局に出演を依頼され、踊るというだけの話だ(ほんとうにそれだけの話だ)。フェリーニ中期の傑作『サテュリコン』や『甘い生活』(ちなみにヴェルベットアンダー・グラウンドのメンバーであったNICOも出演している)時代に観られた画面構成(フレーミング)の洗練はなく、ましてや『青春群像』や『道』の初期作品のロッセリーニ経由といってもいいネオ・リアリズム的な要素もかなり脱色されている。フェリーニには女優でもあり妻でもあるジュリエッタ・マシーナという女性が常にかたわらにいたが、『魂のジュリエッタ』を撮ったあたりは浮気をしまくっていたらしいし、『ジンジャーとフレッド』においてもそのような台詞がマシーナ自身の口から漏れていたりする。フェリーニ自身のそういう「心労」が垣間見えていて、それはそれでエピソード的に面白い。あと、高齢に達したマシーナが最後にテレビ局のスタジオでタップを踊るシーンだけルージュの色がひどく地味になっていて、普段の時よりもいっそう「老けたメイク=演出」を択んだのはどうしてだろうかと頭を抱えた。これは多分マシーナの判断によるものだろう。なぜならマシーナはこの映画の前半においてずっと「テレビ批判」をしていたからである。(2010-08-03)
・かなり暑い日だったが、風らしい風が充実していて全体的にはサラっとしていた。そして雲の位置が低く、その動きも早かったためか、東京の空がやけに低く見えた。日没直前、涼しくなってから22日に飛び込む予定のタマ川の位置確認に行った。川辺りはよけいに空が低く見えた。草枕で寝そべって演出を考えこんでいたり、途中で居眠りしたり、百日紅(さるすべり)の花の組成について考えていたり、2時間くらいぼんやりしていた。ゆっくりと雲がちぎれ、はなればなれになってゆく様や、こうもり(?)がサッと低空飛行で横切ってゆく様や、飛行機の光なのか、それとも星の光なのか判別不可能な様。帰ろうと思って、バッと身を起こしたら10メートル先くらいに髪の長い女の人が一人でいて、とてもびっくりした。(2010-08-03)