ランダムノーツ 10




■ ランダムノーツ 10




ハワード・ホークスの『ヒズ・ガール・フライデー』(DVD)。1940年アメリカ映画。たまに昔のアメリカ映画を観たくなる。ハワード・ホークスの映画は『ハタリ!』と『暗黒街の顔役』がわりと好きで、2年に一回は見直していたが、バスター・キートンスラップスティックを発話レベルで置き換えたらこんな映画になるのではないかと思う(と、あらためて気付く)。会話の展開の速度がエスカレートしていき、第三者の介入も含めて、ちょっとした話の逸脱から別の話にどんどん流れ込んでいき、もとの主題がわからなくなってしまうことが多々あり、巻き戻して見直すはめになるくらい、そのリズムと速度と軽妙さが全体を支配している。それは舞台設定が新聞社の編集部というめまぐるしく情報が行き交う場所ということにも起因しているだろうが、それにしてもやりすぎなんじゃないかというほど会話展開が速すぎる。画面には絶えず人物が複数人配置されており、前景にはケイリー・グラントロザリンド・ラッセルがその50パーセントくらいを占めている。全編スタジオ撮影で、(ちょこっとあらわれる屋外のシーンもスタジオ撮影で)、画面は息苦しい感じでスカッとするシーンがひとつもない。ジャンルとしてはスクリューボールコメディになるのだが、コメディというよりも、俳優が棒立ちになって会話だけでなりたっている演劇を観ているようだった。ハワード・ホークスに関しては映画作家ジャック・リヴェットが書いたホークス論「ハワード・ホークスの天才」(1953・「カイエ・デュ・シネマに」発表日本では『ユリイカ』特集 ヌーヴェル・バーグ30年 臨時増刊号で読める)があり、それがヨーロッパにおける戦後のホークス再評価に大きく関与したということになっているが、今読むとヌーヴェル・バーグの戦略(戦術)的マニフェスト以上のものでも以下のものでもないと思う。それは『セリーヌとジュリーは舟で行く』とか『北の橋』とか『王手飛車取り』とかのリヴェットの傑作を見るとわかることだが、リヴェット自身とアメリカ映画の乖離(とてもスリリングな乖離だとは思うが)がことごとく認められるからである。リヴェットはひどく観念的なことを考えるのが好きな人で、その観念遊戯をアンドレ・バザン咎められていたりもするのだけど、とても狭義の「アメリカ映画」から影響を受けたとは思えない独自の歩みが一貫していると思う。その歩みは、当時のアメリカ映画で活躍したチャールズ・レダラーやレイモンド・チャンドラーのシナリオの造形性(造形美)を空間の造形性(造形美)に置き換えるその手腕に負うところが多いと思われる。それで、10時間もある『アウト・ワン』(なかなか見る機会がないし、誰も見ていないと思うし、僕も見ていないけど)をなんなく撮れたりするのだろう。(2010-08-08)






・鳥の声、あるいは隣の家の老夫人のオペラの練習の声。・・・朝起きて、眠気まなこでコーヒーを点てて、煙草に火を点けて、気づいたらまた身をベッドに横たえていて、ボーとしていた時に、ある書物のことが頭に浮かんだ。その書物の装丁は薄い灰色で、石灰岩や岩塩の塊や、氷のつららを思わせる抽象画とも具象画ともつかないもので、しかも幅が4センチくらいある分厚いものだった。その書物の帯には「われら一つの記号なり、解くすべもなく・・・」というヘルダーリンの詩句が掲げられていた。ヘルダーリンは19世紀初頭のドイツの詩人であり、先述したフレーズは<ムネモシュネー>というギリシャ神話にでてくる「想起の女神」を詩人が想起した、そんな詩の一句である。ヘルダーリンは哲学者のマルティン・ハイデガーなんかにも影響をあたえもしたが、その名前を英語(HELL DARLIN)として捉えると「地獄の夫」となるわけで、「地獄の夫」が書いた詩としてしか読まれえない、そんな季節もあるにはあった。・・・・かつて、私は「地獄の夫」だった。「夫の地獄」と言い換えてもよい。///ミレニアム、地球上のすべてが2000年になった時、私は薄暗い三条河原町あたりでずっとヴァルター・ベンヤミンのことを考えていた。蛍光灯に映え上がる道路にできあがったわずか直径5センチの黒い染みやペンキ塗装がはげかかっている横断歩道の一部分をボーっと見ながら、群衆の靴音にさえぎられた恋人たちの声や、恋人たちの声に遮られた群衆の靴音のかすかな響きにまみれて、ベンヤミンの『一方通行路』について考えていた。///多方通行路?いや、多方ではなく、一方。ひとつしか道がないこと。これは取り返しがつかない「逃げ場の無さ=ゼロプレイス」を自らが自らの力をして作ってしまったということだ。力つきて、なお、「前か後ろしかない」というひとつのリミットで、つまりは臨終間近ののわずかな期待/絶望の中で、立ちすくむしかない。コンクリートは固いだろう?なぜならそれは土ではない。大地を覆う卵の殻だ。///そんな時期だろうか、そんなやみくもな観念をもてあそばしていた時期だろうか?この書を読んでいたのは。///ニーチェ。「<それ>があったところに己を至らしめよ。」この言葉がその書の中で繰り返されていた。ムネモシュネーの囁きとともに。解く術もない記号としての<われら>。<われら>が<われらにおいて>永遠に理解しえないという、最初のミステイク/ミスティフィカシオン。ミスト(霧)のようなミスティ(謎)。しかし、ミス(失敗)でもあり、ミスター/マスター(主人)でもあり、ミッション(使命)でもあった<それ>。///ああ、思い出したように目の前を通りすぎるあの老婆の「くの字」に曲がった背中のように<それ>が回帰する。///「AMOR FATI 」。運命愛の運命、なんと美しい観念だろうか。運命愛の運命。頭韻で読める。運命愛の運命。そんな記述もたくさんあった。フロイトの発明した「ES=それ」という概念はニーチェから来たものだ。その著者はそう繰り返していた。///<それ>があったところに己を至らしめよ。/<それ>に・・・<それ>を・・・/<それ>で?///だが<それ>は・・・・どこにある?(2010-08-05)






・漫画の「漫」ってどういう意味なんやろか?饅頭の「饅」とか怠慢の「慢」とか関係あるんか?という問いをうっちゃっておきつつ、マンガの吹き出しについて考えていた。人と話していて、その人が言っていたことだが、どうやら芸大の授業レベルで言うと(日本における)漫画の起源は『鳥獣戯画』ということになっているらしい。しかし、思うに、鳥獣戯画には吹き出しがないので、あれを漫画とみなすことにはどうにも無理があって、ジブリの高畑勳が映画の起源を絵巻物に求めるくらい、へんな(というか原理的に間違った)バイアスがかかっている。(高畑勳は今村太平なんぞの受け売りで言っていると思われる)。別にその指摘を「制度的」なんて、そこまで思わないが、漫画というのはやはり挿絵(イラストレーション)ではなく、絵入り小説的なものでもなく、紙芝居でもなく、そしてトーキー映画でもない表象物であることに帰着させておいたほうがいい。そこには「人の話す言葉=パロール」が付随していて、その言葉を(生き生きとした)言葉として機能させるということに漫画の漫画性があったとしか思えないからである。「生き生きとしたものにダラダラとつきあえる」それが古今東西変わらぬ漫画消費の極意ではないだろうか?そこで話相手と「漫画で一番古い記憶はなんだ?」ということになってそれは「のらくろ」だ、ということになった。「のらくろ」は「ミリタリー動物漫画」と言ってもよいくらい戦争の題材を多く扱っている(と思われる)。「戦争プロパガンダのための漫画」という俗情操作のためのナショナリズム推進的な風体もないわけではないだろうが、実際一齣もまともに読んだことないのでわからない。(ちなみにのらくろの作者である田河水泡小林秀雄の妹と結婚していて、小林も関わっていた雑誌『文学界』の創刊時に、金銭面で「のらくろ」作者の田河水泡に相当お世話になったらしい、と野々上慶一の本に書いてあった)。よく知らないし、その上読んだこともないのに「キング」や「冒険王」などの漫画雑誌の名前も出て来て、「けれども新聞の4コマ漫画が初発の漫画登場メディアだったのでは?」という問いも上がった。しかし、問題は漫画の起源ではなく、「吹き出し」がどこで始まり、どのような要請のもとでそれが始まったかということなのである。二人とも「う〜ん」と考えていて、そこで、ふと思いつきで僕が「「空也上人像」が漫画の吹き出しのモデルとなったんちゃうか?」と言ったら、話相手はゲラゲラ笑っていた。自分でもなるほどびっくり面白かったので笑った。(ついでに『ドカベン』のいわきとかも空也上人像に近いものあるよな〜という見方も指摘しておいた。「言文一致」といわきは関係ないと思うけど。)(2010-08-06)