新・映画ノート 7

 

 

 

 

クリス・マルケルってSFの古典とも言われるラ・ジュテを見て、ぜんぜんつまらなかったし、あまり興味わかなかったけど、1982年にしては、わりあい新奇なスタンスで撮られた旅映画サン・ソレイユ はメカスっぽくもあり とべない沈黙(黒木和雄)っぽくもあった、、 しかしサン・ソレイユって日本語訳したら「太陽・太陽」でいいんですかね?まさか! (以下はTwitterより転送)

 

 

 

 

 

@渋谷ユーロスペース
クリス・マルケル
サン・ソレイユ
あー長かった

 

クリス・マルケルの映画は 短編の ラ・ジュテ と 短編オムニバスのベトナムから遠く離れて の一編 しか既観でなく 長編ははじめて 、、受付で席選ぶとき、pc画面でe6 を指タッチし、なんの反応もないのでもう一度押すと 受付嬢に「言ってください」と言われている時点で酔いが抜けていなかったとも言え

 

 

 

るが、まずまずいい映画だった、、アレクサンドル・コジェーブの日本的スノッブアメリカ的動物化という図式のアレンジともいえる(かもしれない)、、アフリカ的原始主義と日本的電子洗練主義の二項で展開しつつ第3項のなんだかよくわからない国の砂漠とか唐突になされるキリンの射殺とか戦争のメタ

 

 

 

ファーともいえる映像が準備される、、しかしそこにおさまるのではなく日本ーアフリカの二項を通底させるために日本的霊性とアフリカ的呪術で概念的架橋を試みている、、前者では豪徳寺の招き猫の人形、および人形供養阿波踊り、男根崇拝(秘宝館のものも含め)などがとりあげられる。アフリカ側のそ

 

 

れは言語化できるものではなく、動物の仮面を被ったアニミスティックな儀式が展開されたりする、、図式的にはこういうフレームがあり、時折山谷の底辺労働者やかずかずの動物(マルケルお気に入りのネコと梟)の断片が挿入され観客を和ませる、、しかし、重要なのはこの図式を単一の閉じたフレームとして、

 

 

 

扱い、というよりもひとつのレイヤーとして捉え、音響面また画像面でmade in Japan の電子機器その黎明期のものが扱われている点だと言える、、クレジットにIsao Tomita とあったことからムーグシンセの手弾きは彼の手によるものだろう、、しかもこれがあまりにもしつこく現れるのでうんざりしたことも

 

 

 

 

事実だ、、今ではレトロ・フューチャーともいえるかつてのモダニズムの遺産回顧は過剰になりすぎるとこうもうんざりするものかと思った次第である、、(アーケードゲームパックマンとかは趣味的に良かった)、、マルケル監督はどうもビデオ・エフェクトのソラリゼーションが大好きであり、それを多用

 

 

 

 

した画面がこれでもかと出てくる、、(なにか具象的なものをソラリゼーションが一気に抽象化してくれる表象だと心から信じてるようだ)、、まあ1982年の映画を2019年に観ているのだからレトロ・フューチャー視点それ自体の古さがどうしようも画面を覆っていて、たんに電子大国日本の強調に終わっていて

 

 

 

 

そこが中途半端に新鮮でもあり既視感もあった、、…それはそうと今渋谷で飲み食いしながらiPadで書いているんだが、酔いがまた回ってきて、店内も若者の熱気であつく、たんに暑いのでいったんこのあたりで、、まあいい映画だったことは確かですよーーーーん🐈 

 

 

 

 


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