アイ・キャッチが多用されている。
アイ・キャッチとは、黒目の中に人為的に光を反射させ、見る者を魅惑すること。
■ 井上昭 『子連れ狼 その小さき手に』 1993
田村正和の「泣きと笑いが混濁した絶叫」がよかった。泣いていいのか、笑ってよいのか、そのどちらでもなく、かつそのどちらでもあるような「感情の破綻」が人を絶叫に向かわせる。絶叫することはたぶん人生にそうそうないだろうが、「感情の破綻」は誰にでも稀にあるのではないだろうか。感心した点はこの1点だけである。以下は愚痴になる。NHKの大河ドラマを含めて、多くの時代劇がまず、「映像美」を追求しようとしている。それはストーリーに対して、二次的であるというよりも、より中心的な役割を担っている。ストーリーは「映像美」の中で展開し、ゆえに「ストーリーの美学化」にそれら「映像美」は寄与することになる。『子連れ狼 その小さき手に』も例外ではない。「風光明媚な枯山水」、「四季折々の移ろい」といったおなじみの「記号的日本美」の充溢の内部に、どろどろとした説話装置(権力抗争の話)がマウントされている。(日本画の権威、東山魁夷が口出ししているのではないだろうか、というくらいに強力な記号的日本美表象の連続である)。ストーリーはたいへんつまらない。だが、たいへんつまらないことによって、映画の美学的側面への注視が可能となる。まず、目を奪うのは、照明の凝り具合である。照明は衣装とともに非常に贅沢である。室内のシーンを見てみよう。武家屋敷だ。近景の人物の輝きをあらわすために、後景の仏像の輝きを利用し、それらを媒介する中景の屋外から差し込む光を造形的に作っている。近景の人物にも中景、後景とのバランスを考えて、ちゃんと照明があてられている。ひとつの光景を<近中後>の三連に分割し、美学的効果をあげている。この1ショットを撮るためには、職人的技術を現場でスピーディーに展開しなければならないし、素人にはとうてい真似することのできない熟練の賜物であるだろう。しかし、それらは映画制作のことを知らない人々にとっては、まったく意識の俎上にのぼらないにちがいない。無意識裡に訴えかけるべきもの、ということだ。それらはたしかに美しい。だがそれ以上の価値はない。繰り返しになるが、ストーリーがたいへんつまらないために、それ以外の要素に注目してしまうのは確かなことである。照明、衣装、次に、インサート・ショットである。その多さには目をみはるべきものがある。シーンの冒頭、あるいは、シーンの終わり、あるいはシーンの中つなぎのために、カタツムリや蟹、子供が遊ぶおもちゃなどが、アップでとらえられている。これらは「そのショット以外の部分に関するなんらかの効果」(外示的効果)であるというよりも、視覚的にあきさせないために採用されているショット(たんなる内示)に過ぎない。個別に吟味してみると、大変に美しいショットであるが、「なぜ、ここにインサートされているのか」、その理由をかんがえても、はっきりとわからない。「時間が経過した。」とか「一定の時間が終わった。」という、意味を汲み取れるだけで、それ以外の価値はない。近接のインサートショットを織り込むことに反対しているわけではない。インサートショットのありかたが、歴史的になんどもなんどもくりかえし、実践されてきたことで、われわれが、なんどもなんども消費しつくしているにもかかわらず、続行しているなにかだからであり、そういうことを職人至上主義的美学として自己完結して、それに開き直っているのが、気に食わないのだ。まず、撮影所という場所は、もう新しいアイデアを生むエネルギーがないのではないか。保守堅牢体質の中で、洗練に洗練を重ね、それを職人的価値だと、互いに認めあっているだけで、そこにはたいした面白みがない。やたらに愚痴っているが、それはこの作品がそういう作品なのだからしかたない。あとは音楽の付け方、これは最悪である。最悪すぎて何も言うことがない。わたしは近所の定食屋などで、ほんのたまにテレビを眺めるくらいだが、最近のNHKの大河ドラマは、オープン・エアーを大事にしていると思う。つまり建物の内部と外部をとっぱらうことに、重きをおいている。そして屋外の緑が緑であることを強調しているような画面が多い。しかし、人工着色料をふりかけたようなどぎついその緑は、ことごとく不自然である。画面にエコロジー(エコロジカルな感性)を導入しているつもりが、かえって、毒々しい緑の強調になっていて、これは不健全である。
備忘録
<鏡・クローズアップ・位相空間>について考えるべきである/馬に乗りながら撮影していたシーンがあるが、身体をどうやって固定したのだろうか/音楽はだいたい「弦楽4重奏+笛」である。五重奏かもしれないが、素人耳では判断できない。時代劇は弦楽が多い/カラー・フィルターをかけて撮っている箇所があるが、どうしてこういうことをやりたがるのか、いまいちピンとこない。/食べ物のシーンが一ヶ所しかない。スイカだけである。