美術ノート 18




■ 1970年代のフランク・ステラ






ステラちゃん。ハーイ!ステラ!・・グッドモーニン、ステラ!・・・ごきげんいかがかな?・・・・どうも、<stella>は欧米圏で女の子の名前によく使われるらしい。また「ステラ」という女性ファッション誌(・・40代からの若返りコーデ・・・ワタシ、ずっとずっと輝きます!みたいな・・・)が近年の国内に流通していたかどうか????・・・さて、フランク・ステラという名前にそれほど拘泥するわけではないが、<stella>周辺を英和訳したうえでは、ステラー<stellar>が形容詞、天文学用語で「星(のような)」、転じて「きわだった、一流の、花形スターの」。で、ステレイト<stellate>の形容詞で「星型状の」あるいは「放射状の」になる。「ステラ・イズ・ステラー」で「ステラは花形スターだよ。」になる。







あいかわらず、美術が好きである。音楽の喜びもあるが、ついつい聴きすぎると胸焼けする。映画は今なおもって大仰かつ大袈裟であり、いくら軽妙なポップコーンを食べながら見ようとも、胃がもたれやすい。なので、自室でDVD鑑賞で適当に飲み食いしながら見るのが楽しい、という面々も多いだろう。川島雄三監督の『とんかつ大将』を見ながらとんかつを食べることは、<ハリウッド映画=ポップコーン>という最悪の構図を十分に逃れている。ポップコーンは、映画鑑賞とくっついてから<意図的な食べ物>と化してしまった。それは<サイレント=食べても音が鳴らない>という理由だけで、映画のサウンドトラック聴取との密接なかかわりをもっているのだ。<あられ=せんべい=サウンド>というコードを全面的に否定したのが、<ポップコーン=サイレント>のコードなのである。歯に独特のしっけた密着感をもたらすあのポップコーン。もちろん、かつて大音響をたてて弾けたのはお前だ。しかし、すぐに映画館に飼いならされるというポップ。







さて、フランク・ステラは、1936年アメリカはマサチューセッツ州、ボストン郊外のモールデンで生まれた。フィリップスアカデミーで絵画を学び、ブリンストン大学で歴史を専攻。絵画制作を始めた最初期はモンドリアンの抽象表現主義に関心があった。一定の規則的なパターンを描くことによって絵画からイリュージョンを締め出すことを目的にした作品を描き出したのが、だいたい50年代中頃〜60年代初頭のこと。65年あたりからは不整多角形を用いたシェイプド・キャンバスの作品に移行している。80年代からは、立体-彫刻作品の多作期に入り、メタル、メッキなどを多用した作品を残している。・・・などと書いても何の面白みもない。個人的に「これ重要」なのは、70年代のステラの趣味はバードウォッチングで、そして80年代のそれはF1レースの鑑賞だったということだ。





今回はとくに70年代初期のいわゆる中期ステラについて記しておきたいが、その前にステラ特有の美哲学をあらわす発言をふたつあげておこう。前述のステラ簡略年譜とともに、中原祐介氏が編纂したスーパー・アーティストシリーズ「フランクステラ」(新潮社)内掲載の1967年のインタビューからの抜粋である。



私のやりとげたいことはマチスの「ダンス」がもっている奔放さと放縦さを「モロッコ人たち」の持っているオーバーオールな強さと真の形態的霊感とに結びつけることなのだ。

マチスの絵には物としての存在感が確実にある・・そのキャンバスのために誰かが絵筆を取り、目にしているものを作ったのだという感情を抱く、そういった感情は相当心を打つものがある。そして実際に見ることの体験、眼に対して行われる衝撃は本当にエキゾティックでエキサイティングに見える。






ジョアティンガ1』(1974−1975)。キャンバスの不整多角形化。キャンバスが「ただ四角であることのみ」への苛立ち。そして開放。ステラが好んだキャンバスの鋭角処理は、実に色彩それ自体をより開放的な回路へと導く。また、絵画の多層立体化(多構造化)はもちろん「レリーフ」と呼ばれたりもするが、レリーフに内属化した色彩の立面は、微妙極まりない陰影をその周縁にもつことになり、この効果もまた、色彩の強度との連続性のもとで確認することができるだろう。<レリーフ=リリース>、ここに絵画と照明(光)の関係項を複雑化した上でしか成立しないステラ独特の美学あるのではないだろうか。『モギェルニカ2』(1972)。ここには初期ステラが好んだ「ストライプ」の残響がある。『ジョアティンガ1』においてもそうだが、ステラは茶系色の使い方に独特の感性を働かせており、色彩のヴィヴィッドネスを強調するために、このアースカラーの中心的領土である茶色を大胆に用いるのだ。また「曲線の介入を許さない」とでもいおうか、この直線の全面定着は、むろん男性原理的であるとさえ思えるが、しかし、あらかじめ「絵画とはすでに多層立面化した絵画でしかない」というステラ美哲学に適用可能な意味において、さききほど述べた「照明による陰影」をともなうのである。この効果によって、独特の「やわらかさ」を構成するのである。都会人、ミッドサマーの直線的な酷暑。その夕暮れ時に、独特の美しさをともなって出現するあの路傍のアーバニストの陰影のように。そしてスコット・フィッツジェラルドは『夜はやさし』を真夏の都会の片隅で書いた。『ヤブウォヌフ1』(1972)。シェイプド・キャンバスのハードエッジ。ステラがモノにした「強度=速度」がここにある。ぎりぎりまで拡張をやめず、多角フレームに内部展開させる鋭角フレームの反復。空港の滑走路の俯瞰図にも似たこの作品は、じつに壁にかけられることから離脱し、手裏剣のように飛んでいってしまいそうである。もちろん作家の趣味でもあるバードウォッチングとは、<瞬間風速の事件>に立ち会うことであり、F1レースもまた然り。だが、「あらかじめ直線を求めているのではない」のだ。<事後的にそれは直線的であった>と気づかせるしかない、あの「瞬間」といわれる事件性を生きることが、ステラ美学、特に70年代のそれに結晶しているのである。ハヤブサの速度。残酷なまでの鳥の世界。スピード狂の死亡確率は、スロウライフな人々にとっては関係ないことだ。だが、生き地獄(生かさず殺さず、生きず死ねず、の場所)に近い、スロウライフ/メロウ・デスを完全否定することからステラ美学に立ちあうことが、現在重要なのである。






アベノミクス?そんなものはほっとけ。そして急いでDIC川村記念美術館の常設展へ行こう。ハヤブサの背中に乗って。

http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/images/collection_vol2/stella_work.pdf












(次回は8月15日アップロード予定 <ニューヨーク・サルサ・ラテンパーティ2013@ホテルリッツカールトン東京>のレポート)