PVノート 1










■ パフューム 『I still love U 』 (2009)






最初にカチンコがでてくる
ROLLはフィルムのロールを指す記号で
撮影したものが何巻目のロールにはいっているのかを記録しておくために
カチンコにその項目がある

だが、このPVはフィルムで撮られてはいないと思われる
なのに映画へよりいっそう近づきたいという欲望があるのだと
そのROLL記号から察知することができる

映画的だ、と、そう思わせたのは
他でもないワンシーン・ワンショットである

この映像には切れ目がない モンタージュのない映像
通常長まわしといわれるその手法
フィルムロールは35mmでながいもので約30分
16mmで約10分 8mmで約3分撮影できると 聞いている
(いいかげんな記憶かもしれないが だいたいそんなものだろう)

大学の映画学科 映画の専門学校 ようするに教育機関で教えられているのはワンカット15秒平均だ ということで これは10年前ほどの話

さまざまな環境でさまざまな映像に触れることができるが (LATER )・・より最近のものとなるとワンカット 15秒以下になっているように思える 

はやいとおそい リズミカルかそうでないか

めまぐるしいかそうでないか は あきやすい あきにくい というところまで 人間の生理をためしてゆく

このPVのディレクターは 長回し
それを見るものにとっては 
あきやすい傾向にある ということを知り抜いている
なのでカメラ内編集がふんだんに 周到に 成される (おそらく下半身を絶対に映さない という決め事があり それはそれでとても興味深いルールとなっている)

ヴィデオの時代になって 長まわしがより長くできるようになった ソクーロフは一本の作品をたっぷりの長まわし1カットでとりあげた が それは見ていない
もっとまえにはヒッチコックが『ロープ』を撮ったが これは正確には2カットの映画である(よく見ればわかるが よく見ていない評論家は1カットだといっている)

パフュームのこの映像は 1カットであるがそれは1シーンでもある し 1ショットでもある (ようするに物理的かつ現実的に同じもの を カットと呼んだりシーンと呼んだりショットと呼んだりできるのだ) カットでありながらシーンなのであり この映像演出者は これをことごとく意識し そのうえことごとく周到に演出をし そのうえさまざまな領域で繊細な配慮をしている 

でも最後まで カッティングしていない ということでおどろいた
これは珍しいのだ 

ディレクターはたぶん映画的な感性をもっている人なのだろう
ふるくは 清水宏の室内平行移動の長まわし 溝口健二のフォーマリスティック/フェティッシュな長まわし (なんといっても『新・平家物語』の最初のシーン)。もちろん 相米慎二のぐらんぐらんの長まわし (なんといっても・・・いや、これはたくさんあるので書ききれない) そしてアンゲロプロス ゴダール タルコフスキー・・・


しんきくさい歌詞 しんきくさいコード進行だが、 とってもいい、床の間に飾っておきたくなるようなPVだ。床の間なんてないけど そういう とっておき感がある

これを撮ったディレクターが誰なのかはしらないけど おれが これを書いたことくらいは もっともらしくわかりきっているのだろう そうでなくちゃいかん そうでなくちゃいかん とはいいすぎかもしれないが